Site Web cahier ── 書評・エッセー・研究レヴュー

年2回発行されるcahier所収の書評とワークショップ報告に加えて、
フランス語・フランス文学に関するエッセーや研究レヴューを随時更新していきます。

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その他の研究レビュー

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書評コーナー

過去の書評・エッセー・研究レヴュー

2008年9月5日 12時32分 [WEB担当]

2008年春季大会ワークショップ4

WS

フランス語教育スタージュ ― 過去、現在、未来

パネリスト 星埜守之(東京大学、コーディネーター)、明石伸子(早稲田大学非常勤講師)、善本孝(白百合女子大学)、平松尚子(慶応義塾大学非常勤講師)

星埜守之(語学教育委員長)

 春の語学教育スタージュが本会と日本フランス語教育学会、在日フランス大使館との共催でスタートしてから、この3月ですでに3回のスタージュが実施されている。このワークショップはこれをひとつの節目と考え、スタージュ運営の実務にかかわってきた語学教育委員会の主催により、これまでの経験と今後の展望を共有するために開かれたもので、スタージュ担当幹事として本年3月のスタージュの運営にあたった明石伸子氏、旧スタージュの時代から新スタージュまでの組織にかかわってこられた善本孝氏、第1回の新スタージュに研修生として参加し、今回のスタージュにはチューターとしても加わった平松尚子氏の三名をパネリストに迎えて議論が交わされた。以下、パネリストの方々の報告の概要をお届けする。

旧スタージュから新スタージュへ ― スタージュの歩みと展望
明石伸子

 スタージュはフランス語教員の教授能力を高めるための貴重な研修の機会である。1963年から40年にわたり、日本フランス語フランス文学会、フランス大使館、文部省(のちの文部科学省)の協力によって行われてきたスタージュであったが、2003年に文部科学省の経費支給に関する打ち切りを受けて、その長い歴史はいったん幕を閉じた。しかし2006年から、当学会はフランス大使館および日本フランス語教育学会と共に、新たなスタージュの実施に取り組んでいる。誕生したばかりのスタージュは、まだ充分に周知されているとは言えない。このスタージュの発展を目指して、今回のワークショップでは、まずスタージュの歴史的経緯を確認し、現行のスタージュの運営方法や研修内容の紹介をしたのちに、将来への提言を試みた。

 2003年までのスタージュが廃止となったのは、うえにあげた文部科学省の撤退が最も大きな原因であったが、それを後押していた理由のひとつが、研修参加者の減少であった。日本フランス語フランス文学会の『学会ニュース』や『学会の歩み』(1988年フランス語フランス文学研究別冊)を読めば、フランス語教育をとりまく環境の変化がよくわかる。そこには渡仏が誰にでも容易になった時分から、フランス派遣を期待して教授法の研修に参加するものが少なくなったとの指摘がなされている。しかし、研修の目的は単にフランスに行くことではなく、教育現場の諸問題を解決できるようフランス語の教授能力を高めることにあるはずで、それならば研修への参加者が減るべき必然性はないと言えよう。

 新しいスタージュの特徴は多岐にわたる。応募資格者の枠は、フランス語教員を目指す大学院生まで拡大された。3月の終わりに実施時期が移行し、選抜されたスタジエールは同年の夏にフランスへ派遣される。合宿から通学の受講形式に変わり、第1回目は日仏会館、第2~3回目は日仏学院が会場となった。期間は4~5日に短縮されたものの、講義内容はFLE(外国語としてのフランス語教育)の初歩を知るためにバランスよく組み立てられている。フランスの教育機関からの招聘講師のほか、日本で活躍する日仏のフランス語教育のスペシャリストにより、教授法の歴史、発音、教材研究、文法、文学に関連した授業を初めとして、ヨーロッパ共通基準枠などの最新情報が提供されている。また模擬授業の実習も含まれる。参加者の費用負担は3回目の2008年度を例にとると1万6千円で、地方からのスタジエールには1泊5000円までの宿泊補助費が支給されている。

 ワークショップの最後には、プログラムの一部に学習心理学や記憶のメカニズムを探求する脳科学など、他学問領域とのリンクをした内容を盛り込むのも興味深いだろうし、いくつかの授業はオープン参加にして、FLEに関心の高いネイティブ教員との出会いの場にも利用できないかなどの提言を示唆した。これらは3回のスタージュの企画・運営に携わった委員としての私見に過ぎないが、スタージュがフランス語教育のクオリティーを高めると同時に、学会活動の活性化に貢献すれば理想的であると思われる。 

新旧スタージュの歴史と課題
善本孝

1.「志賀高原(蓼科)スタージュ」と「フランス語教育セミナー」

これまで日本で実施されてきた主なフランス語教員研修は、日本フランス語フランス文学会・駐日フランス大使館・文部省(当時)によって1963年から41回開催された「志賀高原(蓼科)スタージュ」と、1989年から日本フランス語教育学会・駐日フランス大使館・東京日仏学院・Pékaによって15回開催された「フランス語教育セミナー」の2つである。

「志賀高原(蓼科)スタージュ」は教授法にとどまらず文学・文化等を幅広くとりあげ、フランス人講師との2週間集中合宿形式によってフランス語力の強化もをめざしていた。翌年の夏には毎年約20名がフランスでのスタージュに選抜され、文部省とフランス政府から渡航費、受講費、滞在費が支給された。かつてはこのスタージュによって初めて渡仏した教員も多く、フランス語教員の資質向上に大きな貢献をしたといえよう。

 一方「フランス語教育セミナー」は週末を利用して3ヶ月にわたる長期研修のかたちで実施(3時間×10回)されていた。内容は教授法に特化され、日仏混合の講師が担当した。セミナーの修了者にもフランス大使館から渡仏スタージュへの選抜枠が設けられ、毎年数名にスタージュ受講費と滞在費が支給されていた。89年から始まったセミナーは、日本のフランス語教育の現状に即した教授法の理論と実践の研修を目標とし、研究会Pékaと連動することで日本におけるフランス語教授法研究の一つの核を形成したといえよう。

スタージュ、セミナー共に2004年度まで開催されたが、双方とも年々受講者が減少したこと、またスタージュに対する文部省の援助金が打ち切られたことによって、どちらも終了を余儀なくされた。

2.両者の融合体としての新しい「フランス語教育国内スタージュ」

2006年3月に、日本フランス語フランス文学会・日本フランス語教育学会および在日フランス大使館文化部の共催によって新しい「フランス語教育国内スタージュ」が始められた。4日ないし5日という短期間での開催とし、日仏の講師陣による教授法の講習を中心とするスタージュである。修了者から10名程度がフランス大使館によって選抜され、フランスでの教員対象のスタージュに派遣(受講費と滞在費のみの支給)されている。

 フランス語、フランス語教育に関わる二つの学会が、互いの経験と知恵を出し合って初めて共催した事業として、このスタージュには大きな意義があろう。スタージュの内容もこれまでの参加者から高い評価を得ている。

しかし、本スタージュは、当初フランス・スタージュのプレスタージュとして位置づけられたものであり、大使館によるフランス・スタージュへの選抜者数が年々減少していること、また国内スタージュの参加希望者数自体も減少していることから、3回の実施を経てスタージュの性格そのものを改めて見直すことが必要であろう。

2006年フランス語教育国内スタージュに参加して
平松尚子

 2006年のフランス語教育国内スタージュは、それまでとは異なり日本フランス語フランス文学会、日本フランス語教育学会、在日フランス大使館の三者共催による新しい体制でスタートした。またこれは同年8月にフランスで行われる「フランス派遣スタージュの準備段階」として位置づけられていた。そのため国内スタージュの修了者は「夏にフランスで実施される教師研修コースに派遣される」ということが募集要項に明記されており、応募時には課題が課され、書類選考により最終的に14名が研修に参加した。

講師陣は、日本でフランス語教育に携わっている講師のほか、ブザンソン・フランシュ=コンテ大学応用言語学センター(Université de Besançon Franche-Comté, Centre de Linguistique Appliquée)からYves Canier氏を招聘講師として迎えた全10名からなっていた。国内スタージュは「日本におけるフランス語教育」という視点で企図されていることがその大きな特長だろう。「日本におけるフランス語教育」は、日本でフランス語教育に携わるという点、そして日本語母語話者にフランス語を教えるというふたつの側面を持っている。特に対象学生をこのような視点で区分しないフランスでのスタージュに向かう際、一教員としての立場を確かなものにしておくための準備という意味でも、現在日本でフランス語教育に深く携わっている講師陣に指導を受けられることは国内スタージュの大きな価値となっていると言えるだろう。

 授業はすべて参加型のアトリエ方式で行われ、最終日には研修生による教案の作成とその教案に基づいた一人10分間の模擬授業の実践、その模擬授業に対する講師陣からのフィードバックがあった。全4日の研修日程のうち 2日目から本格的に始まったプログラムには、計7種類の授業に加えて、模擬授業をするための教案作成と授業の実践,講師陣による評価と総括があり、総授業時間数は約20時間であった。「フランス語教授法」「日本人教員とフランス人教員との協力による授業立案と運営」「文法をどう教えるか」「Cadre commun de référence(ヨーロッパ共通参照枠)とDELF-DALF」「教材分析」「Nouveaux outils pédagogiques」「Méthodologie des documents authentiques écrits et oraux」「発音の教え方」「授業分析の手法・新教案準備」「教案の発表と討論」という内容である。とくにフランスからの招聘講師によるアトリエや「ヨーロッパ共通参照枠とDELF-DALF」、「新しい教育ツール」といったアトリエは、若手教員だけでなく教育経験が豊富で授業のやり方も確立しているベテラン教員にとっても、教授法の変遷とともに現れる新しい概念や切り口にふれるという点で大変貴重な機会となるように思われた。

2008年9月4日 16時52分 [WEB担当]

原野昇編『フランス中世文学を学ぶ人のために』

書評

 

 フランス中世文学を学ぶ人のために

作者: 原野昇 
出版社/メーカー: 世界思想社教学社 
発売日: 2007/01 
メディア: 単行本 
クリック: 8回 


原野昇編『フランス中世文学を学ぶ人のために』(社会思想社教学社、2007年)
評者:黒岩卓(早稲田大学大学院博士課程)

 我々と全く異なった環境・世界観を生きた人間の息吹を捉える作業は、その困難が大きいほど、説得力をもってそれを蘇らせ得た(と感じられる)時の喜びも大きい。現代の日本の公衆にとって「フランス中世文学」がこの作業上の特権的な対象である必要はどこにもないが、一つの機会を提供していることは事実である。鈴木覚・福本直之両氏と共に『狐物語』の校訂(代表的中世文学叢書の一つLettres gothiquesに収録)、およびその日本語訳を成し遂げた原野昇氏の監修の下、日本におけるフランス中世文学の代表的研究者達がこの作業を模索した有様が伺える事は、本書『フランス中世文学を学ぶ人のために』の持つ、単なる入門書としての枠を越えた魅力である。

 実際、本書の執筆者の多くは中世フランスの作品を個々の専門に従って解説しつつ、それらがいかに現代の我々との接点を見出せるかを、しばしば古代との連続性を指摘しつつ解説する。フランス中世文学は連続した歴史の中で存在するのであり、その当時の時間・空間の中に自閉しきったものではない(作品紹介の実に楽しい例として、福本直之氏によるファブリオ解説を挙げておきたい)。同時に中世文学研究はまた、文献学を始めとする諸技術と不可欠であることが多くの論者によって直接・間接に示される。そもそも近代において自明とされる、作者・タイトルや書物といった概念自体が十五世紀中頃以降の印刷術の伝播と共に一般化したことであるなら、それ以前の言語芸術を巡る活動を把握しようとする際に、近代以降のそれとは異なったアプローチが必要である事は自明である。こうした学問的手続きは、言語芸術が誕生し、受容されそして伝承される過程において、それぞれの過程をまさに生身の人間によって生きられたものとして確認していこうとする限りにおいて、実に人間臭い作業であることも伺える。遠くかつ近いフランス中世の人々の息吹を、いかに我々がより説得的な形で再現できるかという問題と、この二点は密接に結びついているのである。その綜合を端的に見ることができる例として、中世文学史上の転機を形作った『薔薇物語』前・後編、及び仏文学史上最初の文学論争とされる『薔薇物語』論争に関する三篇を挙げておきたい。同作品の記念碑的翻訳を成し遂げた篠田勝英氏によるこれら三篇を読むことで、作者の問題、古典文学との関わり、作品の伝承、さらには作品の現代性といった中世文学研究をめぐる諸問題が一望できるだろう。

 だが本書が単なる手引きに留まらないのは、日本語を母語とし日本という環境で生まれ育ったであろう本書の殆どの読者に対して、「フランス中世文学」を学ぶことの意味の問題を、恰も自明のものとして隠蔽していない事にもよる。「フランス中世文学への手引き」と題された、いわば本書の総括にあたる松原秀一氏による一文がそれである。フランス中世文献学の歴史を1818年のイェーナにおけるゲーテとフリードリヒ・ディーツとの出会いから記述する松原氏は、「よい生徒であること」と題して、我々にも開かれ続けている中世文献学の伝統を描き出すことで、過去を見出すための技術そのものの歴史を示す。歴史を捉える作業自体にすでに歴史が存在し、我々はその延長にあって常に態度決定を迫られている。松原氏は「よい生徒であること」であることの意義を(恐らくは誰よりも強く)認めながら、「所詮われわれはヨーロッパ人にはなれないし、フランス人の良い生徒でいるだけでは意味がない」(234頁)とし、「よい生徒であることをやめること」、すなわち日本人固有の貢献の可能性を提示する。「よい生徒であることをやめる」ために「よい生徒」であったことが必ずしも邪魔になるわけではないだろうし、この提起への反応は各々の読書体験や研究、さらには実生活において理想とするものによるともいえる。しかしこの提言そのものが我々の脳裏を離れる事は無いだろう。実のところ、「フランス中世文学を学ぶ人」にとって本書の有用性は自明であるが、「学ぼうなどと夢にも思っていない人」にとって本書は最も刺激的であるのかもしれない。研究対象と主体そして方法論の間の関係が、本書の隠れた主題といってよいからである。「広い視野に立って、今までになかった新しい展望を東からわれわれがもたらす時はいつ来るのだろうか」(242頁)という本書を締めくくる松原氏の問いは、単に中世文学研究者だけに向けられたものでは無いはずである。

 付録として文献案内、年表、日本語訳のある作品リスト、さらに日本語を中心とした参考文献が備えられており、特に岡田真知夫氏による「原文で読むための文献案内」は初学者にも専門家にも有用である。本書の執筆者の多くが寄稿している『流域』第57号(青山社、2006-2007年冬)を読むことで、各執筆者の研究史をさらに垣間見る事ができることを、最後に付記しておきたい。
2008年9月3日 11時36分 [WEB担当]

ダニエル・ アラス『モナリザの秘密』吉田典子訳

書評

 

モナリザの秘密―絵画をめぐる25章


作者: ダニエルアラス,Daniel Arasse,吉田典子 
出版社/メーカー: 白水社 
発売日: 2007/03 
メディア: 単行本 
購入: 1人 クリック: 16回


評者:宮下志朗(東京大学

 2003年の暮れ、パリのリュクサンブール美術館で、《ボッティチェッリ ─ ロレンツォ豪華王からサヴォナローラまで》と題された展覧会が開催された。わたしは、しばし雑事を逃れるべく、日本から見に出かけたのだけれど、その会場で、企画を担当したアラスの死を知った。享年59歳、いささか早すぎる死であった。本書は、この美術史家が、2003年夏にラジオ《フランス・キュルチュール》で、25回にわたっておこなった『絵画の話』Histoires de peinturesを、活字に起こしたもの。原書にはCDが付いているから、アラスの生の声を聴ける。

 難病に冒されていた彼は、死が近いのを予感していたらしく、このラジオ番組を「一種の自画像」(アラス夫人カトリーヌ・ベダールの表現)としてイメージしていたようだ。したがって、第1章「好きな絵」から始まって、第25章「人は自分の時代の歴史家になれるか?」まで読み進めることで、読者は、アラスの知的・学的遍歴を、いくぶんかは追体験できることにもなる。たとえば、11章「盗まれた博士論文」では、せっかく博士論文執筆用に書きためたカードをすべて、フィレンツェで車のトランクから盗まれたことが語られる。この盗難事件をきっかけに、彼は指導教官を泰斗アンドレ・シャステルからルイ・マランに変更し、論文のテーマも「記憶の芸術と修辞の芸術」に路線変更したのだ。このエピソードを枕として、話は次章「記憶術から修辞学」へとつながっていく。アラスにとって、中世からルネサンスへの移行とは、「記憶術」から「修辞学」への変化にほかならない。

 アラスは図像学者ではない。「図像学」はタブローの部分を明らかにするだけで、全体の解釈には到達しえないというのが、彼の考えだ。マランの弟子といっても、記号論者でもないし、ユベール・ダミッシュを尊敬していても、視覚・表象文化論者ともいえない気がする。アラスは、あくまでもアラスだ。彼は、とにかく作品を長い時間見つめる。そして、たとえ「逸脱」していても、全体の意味を集約あるいは「圧縮」しているかに思われる、「細部(ディテール)」に標的を定める。たとえば、第8章「画家の秘密」では、15世紀フェラーラの個性派フランチェスコ・デル・コッサの《受胎告知》(ドレスデン、国立絵画館)の縁を這う、カタツムリという「細部」が絵の全体を規定する。拙訳『なにも見ていない』で、詳しく語ってくれた謎解きが、ここでも披露される。あるいは第20章「絵画の細部」では、アントネッロ・ダ・メッシーナの《聖セバスティアヌス》(ドレスデン、国立絵画館)で、聖人の臍が眼として描かれていることや、アングルの《モワテシエ夫人》(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)の美しいドレスに、「欲望のしるし」として、汚いしみが描かれていることに注意が喚起される。むろん、「眼としての臍」も、「欲望の誠実さ」としてのしみも、主著『細部(ディテール)─近接絵画史のために』(1992)において取り上げられた主題にほかならない。死の前年のラジオ番組では、アラスのエッセンスが語られていたのだ。

それにしても、その語り口のなんと魅力的なことか。シエナの画家アンブロージョ・ロレンツェッティの《受胎告知》(シエナ、国立絵画館)における大天使ガブリエルの右手のしぐさは、ヒッチハイカーのそれに見立てられる。「その頃ヒッチハイクというのはありませんでした。したがって、これは『無料の輸送という問題』とは異なりますが、でもやっぱり『無料の輸送の問題』なのでありまして、神の身体を無料で運ぶのは聖母マリアなのですから」といった個所の、楽しさは比類なきものだ。こうしてアラスは、読者/聞き手を「受胎告知」という主題に引っぱり込み、見えない秘跡の表象と、遠近法の関わりといった問題に迫っていく。なお「受胎告知」は、イタリア・ルネサンス美術を専門とするアラスの偏愛の主題である。『ルネサンスから今日までの受胎告知』と題されたCD-ROM(1997)が、多数の図像にとどまらず、受胎告知をめぐるテクストが集成された画期的な企画であったことを思い出す。

 「ですます」調の訳文は、とても読みやすい。「アナクロニスム」「修復」といった、文学研究と類比的に考えることも許されそうな、方法論やプロセスも取り上げられているので、ぜひ一読していただきたい。

 なお、最後に、ルネサンスあたりを専門とする、最近のフランスの美術史家で、邦訳のある面々を挙げてみよう。ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(『フラ・アンジェリコ』『ヴィーナスを開く』『残存するイメージ』など)、ダニエル・アラス、ジャン=フィリップ・アントワーヌ(ウッチェッロが主人公の『小鳥の肉体』)といったところだろうか。これに、スイスはフリブール大学のヴィクトル・ストイキツァ(出身はルーマニア、『絵画の自意識』など)を加えれば、いかに個性派ぞろいか、よくわかるではないか。
2008年9月2日 14時47分 [WEB担当]

『アカディアンの過去と現在―知られざるフランス語系カナダ人』

書評


 

アカディアンの過去と現在―知られざるフランス語系カナダ人


作者: 市川慎一 
出版社/メーカー: 彩流社 
発売日: 2007/01 
メディア: 単行本 
クリック: 17回 


評者:真田桂子(阪南大学

 民族離散、ディアスポラと言えば、ユダヤ人の悲劇がすぐさま連想されるであろう。しかしフランス系の民族のなかにも、それに似た過酷な運命を生きた人々がいたことはあまり知られてはいない。本書では、このアカディアンと呼ばれる北米に生きるフランス系住民にスポットを当て、現在にまで大きな影を落としている彼らの過去の足どりがたどられる。

 北米、とりわけカナダのフランス系と言えばまずケベックが思い浮かぶ。17世紀初頭ケベックへの入植を始めたほぼ同じ頃、フランス人入植者たちは、大西洋沿岸州、現在のノヴァ・スコシアを中心とする地域にも、彼の地に先んじて定住を始めた。この地はアカディアと呼ばれ、ここに住みついた人々はアカディアンと呼ばれた。しかしその後、ケベックとアカディアはまったく別々の命運をたどることになる。フランスは、やはり北米への進出を目論んでいたイギリスと激しい覇権争いを繰り広げ、結局敗北を喫する。その結果、アカディアはフランスからイギリスへと譲渡され、戦勝国はアカディアンに英王室への忠誠か、立ち退きかの厳しい二者択一を迫る。英国に従うことに抵抗したアカディアンは、1755年に Grand Dérangement と称される「強制追放」の憂き目にあうことになる。こうしてアカディアンは、住み慣れた土地を追われ、マサチューセッツやコネティカットなど主にアメリカの各地へと送り込まれたのである。その後1763年の「パリ条約」により、アカディアンは故郷への帰還を許されるが、英王室への忠誠を誓い分散して居住することを強いられる。その結果、アカディアンは現在のように、ニューブランズウィック州から、ノヴァ・スコシア州、プリンス・エドワード島、さらにはニューファンドランド州にいたる、カナダの大西洋岸諸州に離散して居住することになったのである。一方、ケベックはやはりフランスからイギリスに譲渡され、その後二級市民扱いを受け辛酸を舐めながらも、一つの土地に固まって居住し続けることができた。そして後年、1960年以降長年の抑圧の時代をバネにして、フランス系文化を強く主張するナショナリズムを開花させた。著者も強調しているように、このようなケベコワ(ケベック人)の状況とは明らかに異なり、アカディアンは、長年の離散の経験のなかで行政上の「領土」をもたない民となり、その少数者としての声は歴史のなかに埋もれてしまったかのようであった。

 第一部「アカディアンの歴史と文化」において、著者は各地に離散したアカディアンの足跡をたどろうと、プリンス・エドワード島から、ニューブランズウィック州の果てにまで足を伸ばし、アメリカのルイジアナへと思いを馳せる。紀行文、エッセイ、インタヴュー、研究報告、歴史探訪など、この本は実に様々なスタイルにまたがって書かれており、本を手にとって読みだした読者のなかには、いささか面食らう人もいるかもしれない。しかし読みすすむにつれ、歴史のはざまに置き去りにされた人々の声を拾い上げ、その姿を浮き彫りにするためには、そうした手法こそ有効なのだと納得がいく。第一章で取り上げられるのはプリンス・エドワード島で、日本では『赤毛のアン』の舞台としてあまりにも有名だが、実はここにも離散したアカディアンたちが数多く住みついて、その末裔たちが今も島に残って居住しているのであった。しかし著者は、この地のフランス語系植民者を祖先にもつアカディアンの大半が、今では英語系住民との共存から英語しか話せなくなっている現実を目のあたりにする。一方、そのプリンス・エドワード島でアカディアをめぐるシンポジウムが開催され、散逸しているアカディアン同士の結束をフランス語で訴える熱い発言が飛び出す様子も報告される。第二章でふれられているように、アカディアンの「強制追放」による悲劇は、それによって永遠に引き裂かれた若い夫婦の嘆きを謳った、19世紀アメリカのロングフェローの長編詩『エヴァンジェリン』によっても有名である。現代では、第四章で詳しく取り上げられているように、アカディアンの出身で現在はケベック州に住むアントニーヌ・マイエが、その小説『牛車のペラジー』で、故郷からアメリカへと追放された人々の苦難の行軍を雄弁に描いている。この小説は1979年ゴンクール賞を獲得し、アカディアンの過去と現在を力強く世界に知らしめた。マイエも「領土なき民」の運命にふれ、アカディアがあるとすれば、それはどこかの場所ではなく時間の中に存在していると指摘する。しかし著者も注目しているように、民衆の間では国外追放の悲史は学校や家庭であまり公にふれられることもなく、ひっそりと人々の胸に刻みつけられ受け継がれてきたのだというあるアカディアンの末裔の証言には胸を突かれる。隣人であるケベコワとは異なり、離散した少数者ゆえに、運命を受けとめ周囲と妥協しながら黙々と生きてきた人々の姿が浮き彫りになる。

 第二部では、北米の果てにあるフランスの海外特別自治体、サン=ピエール・ミクロン島を訪れた際の紀行文が収められ、また附録として、ケベック独特のフランス語であるjoual や、アカディアンの間で話される英語との混成語 chiac についての考察も収められている。

 本書は、日本ではこれまで殆ど触れられてこなかった北米のフランス系に注目し、いわば臨界にあるフランス語とフランス系文化に迫ろうとした好著である。淡々と、時には軽妙につづられた著書ながら、貴重な証言が随所に散見されそこで問いかけられている問題は重い。一読をお勧めしたい。
2008年9月1日 17時05分 [WEB担当]

レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』全5巻

書評

 

反ユダヤ主義の歴史〈第1巻〉キリストから宮廷ユダヤ人まで


作者: レオンポリアコフ,L´eon Poliakov,菅野賢治 
出版社/メーカー: 筑摩書房 
発売日: 2005/03 
メディア: 単行本 
クリック: 6回 


レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』全5巻(合田正人・菅野賢治監訳、筑摩書房、2005‐2007年)
評者:田所光男(名古屋大学

 アウシュヴィッツにおけるガス室の問題など第二次世界大戦史の「些事」にすぎない、というジャン=マリー・ル・ペンの反ユダヤ主義的挑発(第5巻188頁)に賛同する人は、日本の大学関係者の中にはいないであろうが、しかし、なぜユダヤ人の過去の苦しみばかりを語って、彼らがパレスチナで加害者でもある現状には目を向けないのか、と感じている人はキャンパス内には少なくないようである。こうして本書も、ただユダヤに関心を抱く少数の人にとってのみ貴重な文献になってしまうのであろうか。

 先住民や奴隷の視座から書かれたアメリカ史が、独立宣言の理念に即して描き出されたものとは随分異なるように、ヨーロッパの歴史も、そこで差別や迫害、改宗や追放、そして殺戮を受け続けてきたユダヤ人に焦点を合わせて俯瞰してみると、見慣れた立派な風景はかなり違って見えてくる。シェークスピアやマルクスといったよく知られたケースばかりではない。ヴォルテールやゲーテの反ユダヤ主義的言辞はどう理解すればいいのか。「アメリカには黒人問題など存在しない。白人問題があるだけだ」というリチャード・ライトの言葉を受けたサルトルの判断を踏まえて、オランダのアーベル・ヘルズベルグは「反ユダヤ主義はユダヤ人の問題ではなく、非ユダヤ人にとっての文明の問題なのだ」と述べている(第5巻128頁)。まさにこういう意味で、本書はヨーロッパ文明に関心を抱くすべての人に、回避してはならない問題を実証的に突きつけてくる。

 もちろんポリアコフは、ユダヤ人社会における多様な反応にも丹念に視線を注いでいる。イディッシュ語による最初の女性回想録を著わしたグリュッケル・フォン・ハーメルの、「純朴にして、気丈な家庭の主婦そのままの趣」をたたえた文章は印象的である(第1巻292‐296頁)。またフランス革命期、ユダヤ人は同化に直線的に邁進したわけでなく、「フランス王権のもとでユダヤ人の自律した封土のようなものをランド地方に建設する」というシオニズム的な構想が、ボルドー周辺のユダヤ人と王党派との間で駆け引きの対象になっていたという興味深い事実も指摘される(第3巻308‐309頁)。さらにまた、キリスト教からの神殺しという伝統的な断罪に対して、ユダヤ人宰相ディズレーリはその同じ宗教的な水準で反論を試みて、「ユダヤ人の下院における被選挙権は、寛容、平等、その他の抽象的な原則によるのではなく、神に選ばれた民が当然行使してしかるべき特権の名において認められるべきである」という主旨の「驚くべき国会演説」を行ったという記述もある(第3巻437‐439頁)。

 本書はフランスで刊行されるやただちに重要なレファレンスとなった。1959年ゴンクール賞を受賞してフランスにおけるショアー文学の先駆けとなったアンドレ・シュヴァルツ=バルトの『最後の正しき人』は、中世以来連綿として続く反ユダヤ主義的事件を描き出すのにこのポリアコフの著作に大きく依存している。また一方、当時大いに話題となったこの小説へのポリアコフによる批判と読める文章が第2巻の「序言」にはあって、今後深めてみたい論点を与えてくれている。

 時代的には「異教古代」から20世紀末まで、地域的にはロシアを含めたヨーロッパを中心にラテン・アメリカや日本まで、この広大な時空を対象にして膨大な史料が渉猟され、しかも記述が恣意的にならないよう細心の注意が払われている。こうしたポリアコフの態度は訳者の皆さんにも受け継がれて、詳しい訳注は解説にとどまらず、時に本文の記述の裏付けをとり、時に本文の議論に「短見」であると筆誅を下していて(第5巻564頁)、読み手は緊張を求められる。

 監訳者のお二人とも「訳者あとがき」の中で言及しているが、私も読み進めながら、イスラーム圏におけるユダヤ人の境遇の問題が気になっていた。特に、チュニジア出身のアルベール・メンミが、反ユダヤ主義の歴史はこれまでほとんど西欧の歴史家によって書かれてきたので北アフリカのユダヤ人の経験が十分に反映されてはいない、と述べていたことがずっと引っ掛かっていた。本書は全体として確かにキリスト教世界だけを対象にしているわけではないが、イスラーム世界では一般に「有機的共生関係」が成り立ってきたと総括されているところは(第2巻54頁)、やはりメンミからすれば納得が行かない点なのかもしれない。

 第5巻末には全巻にわたる事項・人名索引が付されているので、それを活用すると、本書は反ユダヤ主義事典としてもきわめて有用な文献になろう。関心に応じて或る巻だけ読んでも十分刺激的であるが、しかしやはり全体を通読すれば、「文明」を再考し、さらにパレスチナの問題へと思索をつなげる機会になると思う。

 アウシュヴィッツにおけるガス室の問題など第二次世界大戦史の「些事」にすぎない、というジャン=マリー・ル・ペンの反ユダヤ主義的挑発(第5巻188頁)に賛同する人は、日本の大学関係者の中にはいないであろうが、しかし、なぜユダヤ人の過去の苦しみばかりを語って、彼らがパレスチナで加害者でもある現状には目を向けないのか、と感じている人はキャンパス内には少なくないようである。こうして本書も、ただユダヤに関心を抱く少数の人にとってのみ貴重な文献になってしまうのであろうか。

 先住民や奴隷の視座から書かれたアメリカ史が、独立宣言の理念に即して描き出されたものとは随分異なるように、ヨーロッパの歴史も、そこで差別や迫害、改宗や追放、そして殺戮を受け続けてきたユダヤ人に焦点を合わせて俯瞰してみると、見慣れた立派な風景はかなり違って見えてくる。シェークスピアやマルクスといったよく知られたケースばかりではない。ヴォルテールやゲーテの反ユダヤ主義的言辞はどう理解すればいいのか。「アメリカには黒人問題など存在しない。白人問題があるだけだ」というリチャード・ライトの言葉を受けたサルトルの判断を踏まえて、オランダのアーベル・ヘルズベルグは「反ユダヤ主義はユダヤ人の問題ではなく、非ユダヤ人にとっての文明の問題なのだ」と述べている(第5巻128頁)。まさにこういう意味で、本書はヨーロッパ文明に関心を抱くすべての人に、回避してはならない問題を実証的に突きつけてくる。

 もちろんポリアコフは、ユダヤ人社会における多様な反応にも丹念に視線を注いでいる。イディッシュ語による最初の女性回想録を著わしたグリュッケル・フォン・ハーメルの、「純朴にして、気丈な家庭の主婦そのままの趣」をたたえた文章は印象的である(第1巻292‐296頁)。またフランス革命期、ユダヤ人は同化に直線的に邁進したわけでなく、「フランス王権のもとでユダヤ人の自律した封土のようなものをランド地方に建設する」というシオニズム的な構想が、ボルドー周辺のユダヤ人と王党派との間で駆け引きの対象になっていたという興味深い事実も指摘される(第3巻308-309頁)。さらにまた、キリスト教からの神殺しという伝統的な断罪に対して、ユダヤ人宰相ディズレーリはその同じ宗教的な水準で反論を試みて、「ユダヤ人の下院における被選挙権は、寛容、平等、その他の抽象的な原則によるのではなく、神に選ばれた民が当然行使してしかるべき特権の名において認められるべきである」という主旨の「驚くべき国会演説」を行ったという記述もある(第3巻437-439頁)。

 本書はフランスで刊行されるやただちに重要なレファレンスとなった。1959年ゴンクール賞を受賞してフランスにおけるショアー文学の先駆けとなったアンドレ・シュヴァルツ=バルトの『最後の正しき人』は、中世以来連綿として続く反ユダヤ主義的事件を描き出すのにこのポリアコフの著作に大きく依存している。また一方、当時大いに話題となったこの小説へのポリアコフによる批判と読める文章が第2巻の「序言」にはあって、今後深めてみたい論点を与えてくれている。

 時代的には「異教古代」から20世紀末まで、地域的にはロシアを含めたヨーロッパを中心にラテン・アメリカや日本まで、この広大な時空を対象にして膨大な史料が渉猟され、しかも記述が恣意的にならないよう細心の注意が払われている。こうしたポリアコフの態度は訳者の皆さんにも受け継がれて、詳しい訳注は解説にとどまらず、時に本文の記述の裏付けをとり、時に本文の議論に「短見」であると筆誅を下していて(第5巻564頁)、読み手は緊張を求められる。

 監訳者のお二人とも「訳者あとがき」の中で言及しているが、私も読み進めながら、イスラーム圏におけるユダヤ人の境遇の問題が気になっていた。特に、チュニジア出身のアルベール・メンミが、反ユダヤ主義の歴史はこれまでほとんど西欧の歴史家によって書かれてきたので北アフリカのユダヤ人の経験が十分に反映されてはいない、と述べていたことがずっと引っ掛かっていた。本書は全体として確かにキリスト教世界だけを対象にしているわけではないが、イスラーム世界では一般に「有機的共生関係」が成り立ってきたと総括されているところは(第2巻54頁)、やはりメンミからすれば納得が行かない点なのかもしれない。

 第5巻末には全巻にわたる事項・人名索引が付されているので、それを活用すると、本書は反ユダヤ主義事典としてもきわめて有用な文献になろう。関心に応じて或る巻だけ読んでも十分刺激的であるが、しかしやはり全体を通読すれば、「文明」を再考し、さらにパレスチナの問題へと思索をつなげる機会になると思う。