Site Web cahier ── 書評・エッセー・研究レヴュー

年2回発行されるcahier所収の書評とワークショップ報告に加えて、
フランス語・フランス文学に関するエッセーや研究レヴューを随時更新していきます。

cahier

その他の研究レビュー

2015-09-24 [sjllf]
2013-05-04 [sjllf]
2012-05-23 [sjllf]

書評コーナー

過去の書評・エッセー・研究レヴュー

2008年9月2日 14時47分 [WEB担当]

『アカディアンの過去と現在―知られざるフランス語系カナダ人』

書評

 

アカディアンの過去と現在―知られざるフランス語系カナダ人


作者: 市川慎一 
出版社/メーカー: 彩流社 
発売日: 2007/01 
メディア: 単行本 
クリック: 17回 


評者:真田桂子(阪南大学

 民族離散、ディアスポラと言えば、ユダヤ人の悲劇がすぐさま連想されるであろう。しかしフランス系の民族のなかにも、それに似た過酷な運命を生きた人々がいたことはあまり知られてはいない。本書では、このアカディアンと呼ばれる北米に生きるフランス系住民にスポットを当て、現在にまで大きな影を落としている彼らの過去の足どりがたどられる。

 北米、とりわけカナダのフランス系と言えばまずケベックが思い浮かぶ。17世紀初頭ケベックへの入植を始めたほぼ同じ頃、フランス人入植者たちは、大西洋沿岸州、現在のノヴァ・スコシアを中心とする地域にも、彼の地に先んじて定住を始めた。この地はアカディアと呼ばれ、ここに住みついた人々はアカディアンと呼ばれた。しかしその後、ケベックとアカディアはまったく別々の命運をたどることになる。フランスは、やはり北米への進出を目論んでいたイギリスと激しい覇権争いを繰り広げ、結局敗北を喫する。その結果、アカディアはフランスからイギリスへと譲渡され、戦勝国はアカディアンに英王室への忠誠か、立ち退きかの厳しい二者択一を迫る。英国に従うことに抵抗したアカディアンは、1755年に Grand Dérangement と称される「強制追放」の憂き目にあうことになる。こうしてアカディアンは、住み慣れた土地を追われ、マサチューセッツやコネティカットなど主にアメリカの各地へと送り込まれたのである。その後1763年の「パリ条約」により、アカディアンは故郷への帰還を許されるが、英王室への忠誠を誓い分散して居住することを強いられる。その結果、アカディアンは現在のように、ニューブランズウィック州から、ノヴァ・スコシア州、プリンス・エドワード島、さらにはニューファンドランド州にいたる、カナダの大西洋岸諸州に離散して居住することになったのである。一方、ケベックはやはりフランスからイギリスに譲渡され、その後二級市民扱いを受け辛酸を舐めながらも、一つの土地に固まって居住し続けることができた。そして後年、1960年以降長年の抑圧の時代をバネにして、フランス系文化を強く主張するナショナリズムを開花させた。著者も強調しているように、このようなケベコワ(ケベック人)の状況とは明らかに異なり、アカディアンは、長年の離散の経験のなかで行政上の「領土」をもたない民となり、その少数者としての声は歴史のなかに埋もれてしまったかのようであった。

 第一部「アカディアンの歴史と文化」において、著者は各地に離散したアカディアンの足跡をたどろうと、プリンス・エドワード島から、ニューブランズウィック州の果てにまで足を伸ばし、アメリカのルイジアナへと思いを馳せる。紀行文、エッセイ、インタヴュー、研究報告、歴史探訪など、この本は実に様々なスタイルにまたがって書かれており、本を手にとって読みだした読者のなかには、いささか面食らう人もいるかもしれない。しかし読みすすむにつれ、歴史のはざまに置き去りにされた人々の声を拾い上げ、その姿を浮き彫りにするためには、そうした手法こそ有効なのだと納得がいく。第一章で取り上げられるのはプリンス・エドワード島で、日本では『赤毛のアン』の舞台としてあまりにも有名だが、実はここにも離散したアカディアンたちが数多く住みついて、その末裔たちが今も島に残って居住しているのであった。しかし著者は、この地のフランス語系植民者を祖先にもつアカディアンの大半が、今では英語系住民との共存から英語しか話せなくなっている現実を目のあたりにする。一方、そのプリンス・エドワード島でアカディアをめぐるシンポジウムが開催され、散逸しているアカディアン同士の結束をフランス語で訴える熱い発言が飛び出す様子も報告される。第二章でふれられているように、アカディアンの「強制追放」による悲劇は、それによって永遠に引き裂かれた若い夫婦の嘆きを謳った、19世紀アメリカのロングフェローの長編詩『エヴァンジェリン』によっても有名である。現代では、第四章で詳しく取り上げられているように、アカディアンの出身で現在はケベック州に住むアントニーヌ・マイエが、その小説『牛車のペラジー』で、故郷からアメリカへと追放された人々の苦難の行軍を雄弁に描いている。この小説は1979年ゴンクール賞を獲得し、アカディアンの過去と現在を力強く世界に知らしめた。マイエも「領土なき民」の運命にふれ、アカディアがあるとすれば、それはどこかの場所ではなく時間の中に存在していると指摘する。しかし著者も注目しているように、民衆の間では国外追放の悲史は学校や家庭であまり公にふれられることもなく、ひっそりと人々の胸に刻みつけられ受け継がれてきたのだというあるアカディアンの末裔の証言には胸を突かれる。隣人であるケベコワとは異なり、離散した少数者ゆえに、運命を受けとめ周囲と妥協しながら黙々と生きてきた人々の姿が浮き彫りになる。

 第二部では、北米の果てにあるフランスの海外特別自治体、サン=ピエール・ミクロン島を訪れた際の紀行文が収められ、また附録として、ケベック独特のフランス語であるjoual や、アカディアンの間で話される英語との混成語 chiac についての考察も収められている。

 本書は、日本ではこれまで殆ど触れられてこなかった北米のフランス系に注目し、いわば臨界にあるフランス語とフランス系文化に迫ろうとした好著である。淡々と、時には軽妙につづられた著書ながら、貴重な証言が随所に散見されそこで問いかけられている問題は重い。一読をお勧めしたい。