2003年10月1日 00時00分
[WEB担当]
書評
赤木昭三×赤木富美子『サロンの思想史-デカルトから啓蒙思想へ』
評者:阿部律子
「サロンは近代ヨーロッパ、とりわけ近代フランスの社会に独特な現象であって、17・18世紀のフランスで、それが文化面で果たした影響の大きさには計り知れないものがある。この2世紀のフランス文化はサロン抜きでは論じられないといっても過言ではないだろう」と著者が巻頭で主張するように、17・18世紀のフランス文化や思想を理解しようとするとき、サロンは言うまでもなく重要なキーワードであり、それ抜きにしては理解できないであろう。極端な話、サロンがなかったならば、洗練されたフランス語やフランス文学も、啓蒙思想も、そしてフランス革命も存在しなかったのではなかろうか。それほどまでにサロンはフランス文化の発展や社会の変革のために多大な貢献を果たしたのである。サロンの常連たちは「18世紀のもっともすぐれた知識人のすべてを網羅していた」が、彼ら啓蒙思想家たちは「オネットム」であり、「社交(ソシエテ)」を愛しながら、意見を交換し、社会を変革する思想の流れを作っていったのである。
ところが、「サロンが思想の創出、伝播、普及という面で社会にあたえた影響は従来それほど論じられ、力説されたとは思えない」と著者はこれまでの研究傾向を批判する。というのも、これまで「サロンの影響を割り引いて評価しようとする有力な見解も提示されており」、それにまた、サロンについて著された研究書の大半は、それぞれのサロンの特色やサロンの女主人の果たした役割、あるいはサロンと文学や言語や風俗の洗練について述べてはいるものの、サロンと思想との関係、あるいは思想の伝播や普及におけるサロンの役割にまで言及してはいないからである。そのうえ、学会の分科会の区分にも見られるように、フランス文学・思想研究はたいてい世紀ごとに分けられていて、研究者の方も、自分の研究対象の世紀以外は、もっと極端な場合には、自分の研究対象とする作家以外にはあまり関心を示さないというのが一般的な姿勢なのではなかろうか。そのため18世紀研究の末席を汚す筆者も、恥ずかしながら、17世紀、18世紀の思想の流れ全体を明確な形で把握していなかったことをこの作品を読みながら恥じた次第である。こうした研究者の姿勢や研究傾向から、17世紀・18世紀という連続する2世紀であるにもかかわらず、思想とサロンの関連性を通史的に捉えるという視点に欠けていたこともまた事実である。手元にも何冊かサロンを扱った研究書があるが、いずれも17世紀、あるいは18世紀という具合に世紀を区切っての研究であり、2世紀という時間の流れの中で思想やサロンを扱ってはいない。
さて、17世紀、18世紀のフランス社会における女性の活躍は疑いのない事実であり、特にフランス社交界において女性はなくてはならない存在であった。そのため、ゴンクール兄弟やポール・アザールなどの歴史家にとって、18世紀の女性たちは興味深い研究の対象となった。「18世紀のフランス社会はある意味女性が主権を握っていた」とまで言われるように、女性の活躍には目を見張るものがあった。もちろん、当時の女性は法的、社会的には未成年者同然、無能力者と見なされ、決して男性と対等には扱われていなかった。しかも、大半の女性は女性であるがゆえにまともに教育を授けられなかったことも事実である。それでも自ら進んで積極的に知識や教養を我が物とし、サロンという限られた空間ではあったにせよ、女性は欠くべからざる存在となったのである。もちろん、このサロンも18世紀初頭はまだ17世紀の伝統を受け継いで、洗練された人たちを集めた文芸サロンの性格が強かったが、しかしそれは次第に哲学的、政治的傾向を強めていき、ついにはフランス革命を準備するまでに至ったのである。いずれにしろ、当時の一流の知識人たちを集めたサロンで上手に采配をふっていたのは、彼らと互角に議論することができるようになった才気煥発な女性たちであった。こうしたサロンという場で、文芸作品や哲学作品に鋭い批評が加えられたり、アカデミーの人選がなされたり、思想の流れが作られて、ついにはフランスの行方までもが決定されたのである。『サロンの思想史』はこうしたサロンの状況を余すところなく見事に描き出している。
ポール・アザールは『ヨーロッパ精神の危機』の中で、17世紀と18世紀の間には、文学的、思想的分断があると主張したが、17世紀から18世紀への思想面での移行は直線的ではなかったにしろ、思想の流れは、従来考えられていた以上に断絶なしに、18世紀を次第に準備しながら、17世紀から18世紀へと途絶えることなく脈々と流れ続けたのである。端的に言えば、18世紀の啓蒙思想の源流は、デカルトやガッサンディにまで遡ることができるのである。彼らの思想や思考方法は、リベルタンの影響を受けながらも最初のカルテジヤンであると同時に最初の啓蒙思想家ともいうべきフォントネルから18世紀の啓蒙思想家へと引き継がれていったのである。もちろん、こうした思想の流れはサロンにおける社交生活が発展していたからこそ伝播したのである。以上が著者の主張するところであるが、非常に説得力に富んでいる。
この作品の著者を紹介させていただくと、著者は赤木昭三氏と赤木富美子氏夫妻である。赤木昭三氏は「フランス17・18世紀のさまざまな思想を、文学作品をつうじて研究してきた」方であるのに対して、赤木富美子氏は「同じ時代のフランス文学に見られる女性像の変遷を主として追究してきた」方である。あとがきには、「異質なものが雑然と混在するハイブリッドの怪物にまでなることは免れ、多少の色むらはあり、織糸のもつれものぞく織布の域にとどまれたのではないかと思う」とあるが、さすがに長年研究生活と私生活をともになさったご夫婦であり、お二人の共同研究はそれぞれの研究分野の特色を活かしながら縦糸と横糸が互いにからみあい補強しあって見事な綾織りの作品に仕上がっている。
この『サロンの思想史』は、17世紀から18世紀への思想の流れを通史的に捉えたいと願う人、あるいはもっとサロンの役割について知識を深めたいと願う人にはお薦めしたい好著である。筆者もこの作品によって多くのことを学ばせていただいた。
2003年5月31日 00時00分
[WEB担当]
大会基本情報
獨協大学
参加者465
研究発表37
(1) La poésie entre verbe et matière : symbole et allégorie (Nerval, Baudelaire, Rimbaud) LABARTHE Patrick(Université de ParisIII)
(2) Tradition antimoderne et nouveaux réactionnaires COMPAGNON Antoine (Université de Paris-IV)
書評
寺田元一『「編集知」の世紀』
評者:阿尾安泰
遠目には静止しているかと見える独楽には、均衡を支えるための激しい回転がかけられている。そうした動きを忘れる者はいない。だが歴史に関する限り、動きを読み取っていこうとする作業がいかに難しいものであるかを、本書は教えてくれる。
確かに18世紀は未知の時代ではない。啓蒙の世紀と呼ばれ、17世紀古典主義の後を受け、フランス革命にはじまる近代の夜明けの前に位置している。新しき時代を準備する過渡期とみなされているわけである。ただその移行という図式が強調されるとき、18世紀は近代成立という大義を前にして、つかの間の淡い存在となり、その時代が担っていた運動が、18世紀の独自性が見失われる恐れはないだろうか。
そもそも啓蒙とは何であろうか? その問いかけから本書は出発する。従来のイメージでは、光が降りそそぐように、知が伝播していき、知識人が民衆を教化するという一方向的なものが支配的であった。しかし、少なくとも18世紀フランスは、大文字、単数の「理性」や「光」が支配したり、ひとつの強大な知が征服的に力を広げていく場ではない。むしろ、小文字の複数の光が相互に反射しあいながら、その影響、干渉作用を通じて、知の空間が構成されていくのであった。そのとき「編集知」というキーワードが現れる。従来の直線的、一方向的な印象を与える「啓蒙」ではなく、複数の交錯する情報の中から、取捨選択、組み合わせ等の作業を繰り返しながら、状況に応じて新たに形成される知が問題となる。
抽象的で限定的なモデルを想定している限り、知の生成の過程が問われることはない。18世紀の動的なプロセスを考えようとするならば、その活動の場に注目しなければならない。この時代においては、私的領域と公的な領域の間に「市民的公共圏」が成立していた。個人的なものとして回収されるでもなく、また公的なものとして一括して処理されるわけでもない独特の空間が舞台となる。具体的な場所としては、カフェ、劇場、公園などがあげられる。そこで流通する情報は上下関係などのヒエラルキーを構成して整序化に向かうというよりは、相互に影響、浸透しあい、独自のポリフォニックな言語文化空間を志向していく。
この空間のダイナミズムはその主要な活動人物たち、出版業者、「ヌーヴェリスト」、「ギャルソン」などによっても知ることができる。知の大御所が下々に得々と託宣を下すという図式を抱いてはならない。それでは、この時代を捉えていた揺れを感知することができない。実際、検閲の形骸化の中で出版界の状況は流動的となり、ヴェンチャービジネス化し、一攫千金を狙って、同業者を破産に追い込むことも辞さない業者が現れる。また成功を夢見る無名文士である「ギャルソン」やうわさ、ゴシップの収集を主とする「ヌーヴェリスト」が新たにネットワークを形成し、独自のルートで情報を流していこうとする。
そうした流動化、ネットワーク化を背景として、知の活性化が進展する。18世紀の記念碑的な業績である『百科全書』でさえも当初ヴェンチャービジネスとして始められ、その事業を支えた寄稿者も大半は当時無名の「ギャルソン」であった。17世紀の事典のように観念の順序に事項を配列するのではなく、アルファベット順という恣意的な配列を採用するこの百科事典は、18世紀の知のあり方である「編集知」の特質を良く示している。もはや知は一義的、排他的に与えられていくのではない。各自が、世界認識の相対性を自覚した上で、流通している情報群の中から、自らのコンテクストを考えて、知を再構成していくことが求められるのである。『百科全書』の恣意性は知の体系の自由な創出に対応している。
そして、『百科全書』はそれ自体の中にも、動的な仕掛けを蔵している。クロスレファレンスである。それは事典内部で項目から項目へと参照させるレファレンスのことを言う。項目同士は相互に参照・批判されることを通じて、別なコンテクストへと送り込まれ、新たな知を形成するネットワークを作り上げる。そして、この項目間の相互関係こそ、現在『百科全書』のテクストのデジタル化が進められ、パソコンによる大規模で総合的な検索が可能になった状況において、その全容が明らかになりつつある。その仕組みの機能の詳細が現代において少しずつ明らかになってきている。
このように本書において寺田氏は、従来十分な考慮が与えられてこなかった18世紀の言語文化空間のダイナミックな姿を鮮やかに描き出している。近代に至るまでの一通過点にしかすぎないとみなされてきた風景が、波乱に満ちた姿とともに、氏の描写のなかで、今鮮やかに甦る。
2002年10月26日 00時00分
[WEB担当]
大会基本情報
九州大学
参加者398
研究発表26
(1) Titres de tableaux et discursivité BOSREDON Bernard(パリ第3大学学長)
(2) La place de la mythocritique dans la littélature comparée SIGANOS André(グルノーブル第3大学名誉学長、大使館文化参事官)