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2008年9月4日 16時52分 [WEB担当]

原野昇編『フランス中世文学を学ぶ人のために』

書評
 

 フランス中世文学を学ぶ人のために

作者: 原野昇 
出版社/メーカー: 世界思想社教学社 
発売日: 2007/01 
メディア: 単行本 
クリック: 8回 


原野昇編『フランス中世文学を学ぶ人のために』(社会思想社教学社、2007年)
評者:黒岩卓(早稲田大学大学院博士課程)

 我々と全く異なった環境・世界観を生きた人間の息吹を捉える作業は、その困難が大きいほど、説得力をもってそれを蘇らせ得た(と感じられる)時の喜びも大きい。現代の日本の公衆にとって「フランス中世文学」がこの作業上の特権的な対象である必要はどこにもないが、一つの機会を提供していることは事実である。鈴木覚・福本直之両氏と共に『狐物語』の校訂(代表的中世文学叢書の一つLettres gothiquesに収録)、およびその日本語訳を成し遂げた原野昇氏の監修の下、日本におけるフランス中世文学の代表的研究者達がこの作業を模索した有様が伺える事は、本書『フランス中世文学を学ぶ人のために』の持つ、単なる入門書としての枠を越えた魅力である。

 実際、本書の執筆者の多くは中世フランスの作品を個々の専門に従って解説しつつ、それらがいかに現代の我々との接点を見出せるかを、しばしば古代との連続性を指摘しつつ解説する。フランス中世文学は連続した歴史の中で存在するのであり、その当時の時間・空間の中に自閉しきったものではない(作品紹介の実に楽しい例として、福本直之氏によるファブリオ解説を挙げておきたい)。同時に中世文学研究はまた、文献学を始めとする諸技術と不可欠であることが多くの論者によって直接・間接に示される。そもそも近代において自明とされる、作者・タイトルや書物といった概念自体が十五世紀中頃以降の印刷術の伝播と共に一般化したことであるなら、それ以前の言語芸術を巡る活動を把握しようとする際に、近代以降のそれとは異なったアプローチが必要である事は自明である。こうした学問的手続きは、言語芸術が誕生し、受容されそして伝承される過程において、それぞれの過程をまさに生身の人間によって生きられたものとして確認していこうとする限りにおいて、実に人間臭い作業であることも伺える。遠くかつ近いフランス中世の人々の息吹を、いかに我々がより説得的な形で再現できるかという問題と、この二点は密接に結びついているのである。その綜合を端的に見ることができる例として、中世文学史上の転機を形作った『薔薇物語』前・後編、及び仏文学史上最初の文学論争とされる『薔薇物語』論争に関する三篇を挙げておきたい。同作品の記念碑的翻訳を成し遂げた篠田勝英氏によるこれら三篇を読むことで、作者の問題、古典文学との関わり、作品の伝承、さらには作品の現代性といった中世文学研究をめぐる諸問題が一望できるだろう。

 だが本書が単なる手引きに留まらないのは、日本語を母語とし日本という環境で生まれ育ったであろう本書の殆どの読者に対して、「フランス中世文学」を学ぶことの意味の問題を、恰も自明のものとして隠蔽していない事にもよる。「フランス中世文学への手引き」と題された、いわば本書の総括にあたる松原秀一氏による一文がそれである。フランス中世文献学の歴史を1818年のイェーナにおけるゲーテとフリードリヒ・ディーツとの出会いから記述する松原氏は、「よい生徒であること」と題して、我々にも開かれ続けている中世文献学の伝統を描き出すことで、過去を見出すための技術そのものの歴史を示す。歴史を捉える作業自体にすでに歴史が存在し、我々はその延長にあって常に態度決定を迫られている。松原氏は「よい生徒であること」であることの意義を(恐らくは誰よりも強く)認めながら、「所詮われわれはヨーロッパ人にはなれないし、フランス人の良い生徒でいるだけでは意味がない」(234頁)とし、「よい生徒であることをやめること」、すなわち日本人固有の貢献の可能性を提示する。「よい生徒であることをやめる」ために「よい生徒」であったことが必ずしも邪魔になるわけではないだろうし、この提起への反応は各々の読書体験や研究、さらには実生活において理想とするものによるともいえる。しかしこの提言そのものが我々の脳裏を離れる事は無いだろう。実のところ、「フランス中世文学を学ぶ人」にとって本書の有用性は自明であるが、「学ぼうなどと夢にも思っていない人」にとって本書は最も刺激的であるのかもしれない。研究対象と主体そして方法論の間の関係が、本書の隠れた主題といってよいからである。「広い視野に立って、今までになかった新しい展望を東からわれわれがもたらす時はいつ来るのだろうか」(242頁)という本書を締めくくる松原氏の問いは、単に中世文学研究者だけに向けられたものでは無いはずである。

 付録として文献案内、年表、日本語訳のある作品リスト、さらに日本語を中心とした参考文献が備えられており、特に岡田真知夫氏による「原文で読むための文献案内」は初学者にも専門家にも有用である。本書の執筆者の多くが寄稿している『流域』第57号(青山社、2006-2007年冬)を読むことで、各執筆者の研究史をさらに垣間見る事ができることを、最後に付記しておきたい。