Site Web cahier ── 書評・エッセー・研究レヴュー

年2回発行されるcahier所収の書評とワークショップ報告に加えて、
フランス語・フランス文学に関するエッセーや研究レヴューを随時更新していきます。

cahier

その他の研究レビュー

2015-09-24 [sjllf]
2013-05-04 [sjllf]
2012-05-23 [sjllf]

書評コーナー

過去の書評・エッセー・研究レヴュー

2004年10月2日 00時00分 [WEB担当]

2004年度秋季大会

大会基本情報

北海道支部 (北海道大学

参加者336

研究発表29

Faire de la linguistique française : un peu, beaucoup, passionnément TAMBA Irène(EHESS)

2004年5月29日 00時00分 [WEB担当]

2004年度春季大会

大会基本情報

白百合女子大学

参加者557

研究発表

(1) “Histoire de ma vie”, autobiographie du milieu du siècle et ses silences HECQUET Michèle (リール第3大学名誉教授)

(2) La littérature haïtienne d’aujourd’hui et la francophonie DEPESTRE René(作家)

2004年1月1日 00時00分 [WEB担当]

cahier 00, juillet 2007

書評

NAKAMURA Keisuke, Problèmes typiques des apprenants japonophones du français
評者:原田早苗

駿河台出版社、2004年
 応用言語学の誤答分析の分野では、一般的にはマイナス要素とみられる誤りが、実際は学習の過程において不可欠であり、中間言語に関する有益な情報を含んでいると考える。著者は正にその観点にたっており、学生のつまずきをフランス語と日本語の言語の違い、学習段階、文化的背景などによって説明している。フランス語としては確かに間違いであるが、学習者の思考に沿ってみれば理にかなっているものが多いと考える姿勢が、本書において一貫してみられる。

著者は間違いの原因を探るだけでなく、その分析結果の授業への応用についても言及している。例えば、他動詞や自動詞、直接目的語や間接目的語といった構文にまつわる概念を、動作で視覚的に説明することが提案されている。また、日本人にとって難しいattirerやdérangerといった無生物主語をとり得る動詞についても、多くの事例を出しながら触れている。作文の実際の添削例が紹介されているのも、大変参考になる。

 文法や語彙の問題のほかに、プロソディも取り上げられている。プロソディと文法、そして意味が密接に絡み合っていることを、どのようにしたら学習者に意識させることができるだろうか。新情報と旧情報の概念を導入することによって、文末にくる新情報を強調することの重要性を学生も理解しやすいのではないか、と提案する。代名詞の強勢形の存在理由をプロソディの面から説明しているあたりも面白く、このような説明を受ければ、代名詞の種類の多さに混乱している学習者も納得するだろう。

 本書は論文集であるが、二部に分かれており、以上に紹介した興味深いテーマは第一部で扱われている。第二部は、著者がRencontres Pédagogiques du Kansaiで開いたアトリエをベースにしている。著者が自ら作成したテキストの工夫点やBonjourと 「こんにちは」、caféと「喫茶店」をめぐっての文化論が展開されている。著者が長年にわたっていかに多くのデータを蓄積し、分析してきたかがわかる多彩な内容である。

本書のもうひとつの魅力は、扱われている具体例の多さである。例えば、「彼らは結婚して何年になりますか」の和文仏訳について、学生の作文から拾った26通りの文が紹介されている。「何年になりますか」の訳で苦しんでいること、アスペクトと時制を理解していないことがよくわかる。このように、事例が豊富で、かつ読みやすい文体なので、教員だけでなく、フランス語教育に興味のある学生にも薦めたい。また、本書はフランス語で執筆されているので、フランス人あるいはフランス語圏の教員も読むことができ、それによって日本人学習者への理解が深まるに違いない。

 最後に紹介するのは本書の一節だが、学生とこのような信頼と喜びを共有できるような教員になりたい、と切に思う。

Et notre travail dans ces exercices, ce n'est pas simplement de corriger leurs phrases, mais surtout de chercher les raisons de leurs fautes. Quand nous sommes capables de les expliquer, les étudiants ont davantage de confiance en nous et plus de plaisir à dépasser leurs difficultés. (p.15)

2003年12月1日 00時00分 [WEB担当]

cahier 00, juillet 2007

書評

 

 カミュ『異邦人』を読む―その謎と魅力

作者: 三野博司
出版社/メーカー: 彩流社
発売日: 2002/11
メディア: 単行本
購入: 3人 クリック: 32回



 

 カミュ 沈黙の誘惑

作者: 三野博司
出版社/メーカー: 彩流社
発売日: 2003/12
メディア: 単行本
購入: 1人 クリック: 11回


三野博司『カミュ「異邦人」を読む』、『カミュ 沈黙の誘惑』
評者:松本陽正

 『カミュ「異邦人」を読む』の冒頭には、1992年にジャクリーヌ・レヴィ=ヴァランシが述べた言葉の要約が据えられている。「『異邦人』は、世界でもっとも翻訳され、研究され、読まれてきた小説の一つである。」

 たしかに、研究面だけみても、「『異邦人』は膨大な注釈を雑誌論文、単行本、学位論文の形で生み出したし、現に生み続けていて、今日では新しい見方をすることがほとんど不可能なほどである」とベルナール・パンゴーが述べたのは1973年のことだし、また、「その数と多様性とにおいて、『異邦人』解釈史は現代フランス文学史のなかでも特権的な地位を占め、それだけで単独の研究対象になりうるといってもけっして過言ではない」と西永良成氏が記したのは1976年のことである。1998年、『異邦人』を歴史的なコンテクストに置き戻すことによって独自の論を展開したクリスティアーヌ・ショーレ=アシュールは、「(『異邦人』について)まだ何か言うべきことがあるのだろうか?」と自問することから論を始めている。日本においても、この30年ほど、『異邦人』のみを対象として、作品に新たな光をあてた学会発表はなかったと言っていい。

 このようなことを十二分にふまえた上で、三野博司氏は『異邦人』再読を試みる。

 本論は二部構成をとっている。すぐれた論考がそうであるように、本書も目次を見ただけで論の展開の予測がつく。第?部「通時的に読む」は、副題(「『異邦人』の物語にそって」)が示すように、時間軸にしたがって冒頭から結末に至るまでのストーリーを丹念に追いつつ、注釈がほどこされている。作品自体よりも少し長いくらいだ。

 構成上からは類例のない『異邦人』論だが、ただどの点が誰の注釈なのかについて明示されていない箇所もある。とはいえ、このような形でのテクスト・クリティク自体に独創性があると言えるのではないか。全体的な構成の斬新さ、それによってしか新たな『異邦人』論を提出することはまずもって不可能に思えるのだから。

 だが、本書のユニークさは、第?部以上に第?部「共時的に読む」にあるように思われる。ここでも副題(「『異邦人』批評の批評」)に明確に示されているように、サルトルからショーレ=アシュールに至るまでの60年近くにわたる『異邦人』批評の変遷が簡潔・的確に批評されている。全体は三分割されている。まず、「語り手ムルソー」の異邦性についての解釈史が紹介される。ついで、「主人公ムルソー」の異邦性へとすすみ、従来の批評が「自然/歴史」「個人/社会」「母/父」等々、9種類の二項対立にまとめられている。最後に、二項対立におさまりきらない「アルジェリア」と「アラブ人」についての批評がとりあげられている。

三野氏が渉猟した『異邦人』批評史のこのような形での提示は、1972年にそれまでに著された『異邦人』論を7つの読解方法に分け、詳細な報告・批評を行ったブライアン・T・フィッチ以来のことだろう。先にあげた西永氏の言葉を想起すれば、本書の第二部は一つの大いなる〈研究〉成果といえるだろう。これから『異邦人』研究を志す若い方々には、またとない参考文献リストともなろう。あえて補うとすれば、フィッチにあった「伝記的読解」の欠落だろうが、「異邦性」でまとめた論考である以上、「伝記的読解」の捨象は三野氏の意図的な選択と考えられる。

 テクストとしてフォリオ版が使われていることからも、ある程度フランス語に親しんでいる人たちを読者対象としていることが看取される。もっとも、邦訳のページは容易に推測がつく。フランス語を知らぬカミュファンにとっても恰好の研究書となろう。

と同時に本書は、単に『異邦人』解釈史にとどまらず、戦後のフランス文芸批評の流れを把握する上でも貴重な道しるべとなることだろう。

 三野氏は1987年にパリのコルチ書店からLe Silence dans l’œuvre d’Albert Camus(『アルベール・カミュの作品における沈黙』)を上梓していた。三野氏も言うように、カミュにおける〈沈黙〉については従来指摘がなかったわけではないが、カミュ作品に通底するテーマとして〈沈黙〉を捉え、正面から論じたのは三野氏が初めてであり、氏の労作はフランスでも高い評価を得ている。

 『カミュ 沈黙の誘惑』は、「あとがき」にあるように、この高著を訳出したものに、「付論」として1994年に出版されたカミュの遺稿『最初の人間』に関する論文(「『最初の人間』沈黙の物語」)を添えた構成をとっている。「序論」と「結論」にはさまれた本論は9つの章より成り立ち、カミュにおける〈沈黙〉の諸相が追究されている。おそらくは « silence »(「沈黙」)のすべての用例にあたられたのだろう、精緻な例証には圧倒されてしまう。

 ただ、全体的な構成はやや複雑で、『ペスト』が言わば回転軸のようになっている。「第一章 母親の沈黙」「第二章 自然の沈黙」「第三章 沈黙の桎梏」「第四章 神の沈黙」では、初期作品から『ペスト』に至るまでの〈沈黙〉が、それぞれ章題に付された言葉との関連で、角度を変え、音色を変えて論じられている。第五章以降は、趣を異にする。第五章から第八章までは時代が細分化され、第五章では『ペスト』、第六章では『戒厳令』『反抗的人間』『正義の人々』、第七章では『転落』と「背教者」、第八章では「背教者」を除く『追放と王国』所収の諸短編と『夏』とをそれぞれ中心に据え、論が展開されている。そして、「第九章 証言」から「結論」につながれている。このような構成の理由としては、『ペスト』において母親の理想像が提示されたこと、『ペスト』以降は「自然」よりも「歴史」の比重が相対的に増大すること、『転落』のクラマンスには否定的側面が見受けられること、などがあげられるのではないだろうか?

 いずれにしても、日本人ならではの着眼点による卓越した論考であり、従来マイナーなものとされていた〈沈黙〉のテーマを前面に浮かびあがらせた功績は大きい。

 カミュの師ジャン・グルニエは、『異邦人』などからは「謂れなく傷つけられた獣の叫び」のような「野性の叫び」が聞こえてくる、との見事な指摘を行っていたが、それも「アルベール・カミュのすべての作品をつうじて、弱音でうたわれる沈黙の歌」(ポール・ヴィアラネーの「序文」より)が流れているがためであろうか。そのような思いにとらわれる。

すでに述べたように、『カミュ「異邦人」を読む』はカミュファンも楽しめる本だが、それに比べると『カミュ 沈黙の誘惑』は一般読者にはやや難解かもしれない。とはいえ、カミュを専門的に研究しようとする人たちは言うまでもなく、文学を深く学ぼうとする人たちにも、多くの示唆を与えてくれる書物である。
2003年10月25日 00時00分 [WEB担当]

2003年度秋季大会

大会基本情報

大阪外国語大学

参加者425

研究発表27

(1) Chateaubriand et Tocqueville : deux aristocrates libéraux devant la démocratie FUMAROLI Marc(アカデミー・フランセーズ)

(2) Tendances de la poésie contemporaine française COLLOT Michel(Université de Paris-III)