2004年10月3日 14時41分
[広報委員会]
2004年度秋季大会 ワークショップ(2)
文学と身体 ─ 規範と逸脱
パネリスト
| 吉田城(京都大学) 多賀茂(京都大学) 内田樹(神戸女学院大学)
|

広い意味における「文学」と「身体性」の問題をさまざまな切り口から考察し、従来の文学研究の枠組みを組み替え、他領域へと広げる可能性を探った。多賀茂は古代からフランス近代までの「怪物」の図像とイメージの系譜を概観し、この問題系が「正常と異常」「秩序と違反」などという人間が世界に対して向ける眼の構造と深く関わっていることを指摘した。
内田樹は、武術とくに合気道のもつ「時間の先取り」を取り上げ、身体運動のもつ本質的な時間制御の力を、エクリチュールの運動の中に見いだすことを提言した。書く作業、読む作業は時間を前後にずらすことで一種のリスクマネジメントをおこなっているという。K-1の武蔵や古武術家甲野善紀をはじめ多くの武道家との交際を通じて得た豊富な身体観を披露しながら、説得的な時間論を展開した。
吉田城は文学と身体をつなぐ重要な主題としての舞踊を取り上げ、それが一見言語を排除した純粋な身体概念を表象しているかに見えるが、じつは深いところで言語活動と密接に結びついている事実を、舞踊譜や脚本や文学者とのコラボレーションなどの例にもとづいて示した。
どの発表も規範と逸脱の可逆的関係、時間のコントロールといった共通認識を明らかにできた。会場から盛んな発言があり、熱気と笑いに満ちた充実したブレインストーミングの場になった。この種のワークショップをぜひ今後もつづけてほしいという要望もいただいた。(吉田)
2004年10月3日 14時35分
[広報委員会]
2004年度秋季大会 ワークショップ(1)
自己を語るエクリチュール
パネリスト
| 小倉孝誠(慶應義塾大学) 渡辺芳敬(横浜市立大学) 有田英也(成城大学)
|

自らについて語るのは人間的経験の本質的な一部であり、ほとんど普遍的な現象であるように見える。自己を語る文学形式としては回想録、自伝、「自画像」、日記、自伝的エッセー、自伝的小説、《autofiction》などが考えられよう。
このワークショップではこうした多様なエクリチュールを取りあげながら、人はなぜ自己を語ろうとするのか、何を、どのように物語るのかという問題について考えてみた。
小倉孝誠は主に19世紀の自伝(スタンダール、シャトーブリアン、ジョルジュ・サンドなど)を対象にして、自伝というジャンルが誕生した文化的・社会的背景を喚起しながら、ロマン主義時代の自我の構図に迫ろうとした。
有田英也はペレック、サロート、サルトルなど20世紀作家の自伝作品に依拠しながら、歴史、戦争、ユダヤ人問題とのせめぎ合いの中で作家の自己がいかに造形されていったかを論じた。
そして渡辺芳敬は現代の思想と文学(特にバルト、フーコー、サルトル)を参照系として、いま自己を語ることのベクトルがどのような布置にあるのかを問いかけた。
会場からはさまざまな意見が発せられた。自伝に関して、パネリストたちは暗黙のうちに、フィリップ・ルジュンヌによる定義を念頭に置きながら議論を展開したわけで、したがってルソー以降の近代文学を特権的に論じたわけだが、中世のトルバドゥールやヴィヨンの詩にもすでに自己を語るエクリチュールが芽生えているという指摘がなされた。
また、自伝における「語る自己」と「語られる自己」の関係が作家によってはきわめて錯綜していること、写真や映像などの視覚表象が20世紀作家における自己のエクリチュールに大きなインパクトをもったのではないか、という意見も出た。
いずれにせよパネリストと聴衆の間に活発で刺激に富む議論が展開し、パネリスト自身も多くを学んだ意義のあるワークショップだったと思う。盛り上げてくれた参加者の方々にあらためて感謝したい。(小倉)
2004年10月3日 14時32分
[広報委員会]
2004年度秋季大会 特別講演
Faire de la linguistique francaise : un peu, beaucoup, passionnément
TAMBA Irène氏
(Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales)
司会:青木三郎(筑波大学)
講師は本会推薦による仏政府文化使節イレーヌ・タンバ教授(社会科学高等学院)で、言語学が専門である。タンバ教授には事前に専門のフランス語学者だけではなく、フランス文学を愛好する多くの会員にも分かるようなテーマを選ぶようにお願いした。その返事にいただいたのが表題のun peu, beaucoup, passionnementというものだった。一体どんな話になるのか想像がつかなかったので、司会としては内心不安であった。タンバ教授は60年代はじめに広島大学に赴任し、フランス語教師として日本の学生にフランス語を教える経験をもつ。その当時のなつかしい思い出話から始まり、それまでプロバンス大学で学んだ古典文学等の知識があまり役に立たず、日本語の構文、語彙の発想との違いに対して驚きの毎日であったこと、学生の何気ない誤用が言語構造の理解の難しさ、危険性に気づくきっかけであったことが語られた。そこから例えば変化の捉え方にしても日本語の「なる」とフランス語のdevenirではかなり違うのではないか、要素と要素の接続の考え方にしても、日本語とフランス語では同じように接続詞を考えることはできないのではないか、など様々な問題を取り上げていく。un peu, beucoup, passionnementがなぜ一直線上に並ぶのか、なぜ日本語に置き換えられないのか。タンバ教授の切り口は意表をつくものばかりであった。タンバ教授の根底には<意味>の問題があり、それはアクセス不可能な活動としての言語(ランガージュ)に属するものであるという考えがある。そこにパラフレーズ(autrement dit)、曖昧性、多義性、さらには時間性などの問題がテーマ化される。タンバ教授はランガージュは脳科学によって解明される部分があることを言及されたが、1時間のお話のなかで広島経験から始まって、聴衆の気がつかないうちに構造主義、発話理論、認知言語学そして脳科学の可能性まで諸問題を提示した。まだ言語学がご自分の情熱の対象であることを、passionnementのつぎにpas du tout はないのよ、と微笑みながら言われたのが印象的であった。
2004年10月3日 14時22分
[広報委員会]
ニュース118号(2004.11.25)より
幹事長 小倉孝誠
2004年度秋季大会は、10月2日(土)、3日(日)の2日間にわたり、爽やかな好天のもと北海道大学で開催された。札幌駅にほど近いという恵まれた場所に位置し、正門を入ると快い小径が続き、目に鮮やかな緑や白樺の木に迎えられる。広大なキャンパスと美しい並木には羨望の念を禁じえないほどであった。
大会初日は午前に各委員会、午後早くに幹事会、役員会が開催されたのに続いて、教育研究棟2階W203教室において、佐藤淳二氏(北海道大学)の司会により開会式が行われた。大会実行委員長を務める北海道支部長の高橋純氏(小樽商科大学)の開会の辞の後で、開催校代表として中村睦男北海道大学総長の挨拶があった。クラーク博士創立になる札幌農学校にまで遡る北海道大学の沿革を辿り、現代社会における多文化・多言語研究の必要性をあらためて強調された。しかも、中村総長はフランス語で挨拶してくださったのである! 内容もさることながら、そのこと自体が文化の多元性を唱導するマニフェストとして実に感動的だったことは、会員一同の大きな拍手に示されたとおりである。法学者である中村総長は、かつてフランス政府給費留学生としてパリで学んだことがあり、フランス語で挨拶するという行為をつうじてフランス文化への愛を熱く示してくださった。これに対して、菅野昭正会長が答礼の辞を述べた。
14時30分からは、二部に分かれて14の分科会が設けられ、29名の会員が研究発表を行った。地方大会での発表者数としては特記すべき数字であると思われる。
懇親会は、キャンパスのすぐ南に位置する京王プラザホテルに場所を移して催された。参加者は158名。竹中のぞみ氏(北海道大学)の司会のもと、副会長塩川徹也氏の挨拶、同じく副会長柏木隆雄氏の乾杯の音頭で始まり、和やかな雰囲気のなかで歓談の時が過ごされた。宴の途中では、翌日の講演予定者であるIrene Tamba氏、ならびにフランス大使館文化担当官Pierre Koest氏から、学会にたいする励ましの言葉を交えた挨拶をいただいた。
2日目は、青木三郎氏(筑波大学)の司会のもと、Tamba氏の≪Faire de la linguistique: un peu, beaucoup, passionnement≫と題された特別講演から始まった。タンバ氏は41年前に初めて来日し、広島で教鞭を執った頃の思い出話を発端として、自分がいかにして言語学に関心を抱くようになったかという経緯を興味深く語ってくださった。また御自身の専門領域である「対照言語学」がどのような学問であるかを、具体的でユーモラスな例文を引きながら説得的に論じ、専門を異にする会員にも理解しやすい印象的な講演であった。
引き続いて10時40分から、学会初の試みとして同時進行的に複数の「ワークショップ」が開催された。これは分科会発表やシンポジウムと趣旨が異なり、パネリストと聴衆が同じ地平に立ち、一定のテーマをめぐって活発で率直な意見交換することをめざした企画である。今回は吉田城(京都大学)、高橋純、小倉孝誠(慶應義塾大学)の3氏をコーディネーターとしてそれぞれ「文学と身体 ── 規範と逸脱」、「『ソーカル事件』を考える」、「自己を語るエクリチュール」というテーマで催された。いずれのワークショップにも数多くの会員が積極的に参加し、密度の濃い生産的な質疑応答が繰り広げられた。(別掲記事参照)
昼食をはさんで13時半からは、教育研究棟W203教室で「文化装置としての書物:文学研究の内と外」と題されたシンポジウムが開催された。司会は月村辰雄氏(東京大学)、パネリストは鷲見洋一氏(慶應義塾大学)、長谷川輝夫氏(上智大学)、そして宮下志朗氏(東京大学)である。時代としては中世から19世紀までを広くカバーし、書物、出版、読書など文学をささえる制度的な外部の問題が、社会史や文化史の観点から縦横に語り尽くされた。パネリスト同士が巧みに議論を受けつぎ、テーマの一貫性に配慮しながら発表を展開していったのは、緻密に計算された演出にもとづくものであろう。聴衆との質疑応答に十分な時間を割けなかったことだけが、いくらか惜しまれる。
その後16時より、大平具彦氏(北海道大学)を議長として総会が開かれた。議長のてきぱきとした司会ぶりのおかげもあって、すべての議事はつつがなく終了した。議長の大平氏には一部の支部報告や委員会報告まで代読していただき、あらためて感謝の意を表する次第である。
総会終了後、ただちに閉会式に移った。菅野会長は開催校にたいする感謝の言葉を述べた後、現在進められている学会誌編集方針の変更案作成に関して、いろいろ困難は伴うだろうが学会と会員にとって最善の解決策を模索してほしい、と提言した。最後は江口修氏(小樽商科大学)の閉会の辞によって、本大会は無事その幕を閉じたのである。参加者総数は336名であった。
大学の後期が始まって間もない慌ただしい時期に開催され、「ワークショップ」の企画を立ち上げ、研究会をプログラムに正式に組み入れるなど新たな試みを伴った大会であったが、見事な成功へと導いてくださった大会実行委員長高橋純氏、北海道支部、開催校の北海道大学のスタッフの方々には、この場を借りてあらためて深い感謝の意を表したい。また大会の準備に献身的にたずさわってくれた学会事務局の2人の書記、丸山理絵さんと漆原みゆきさんにも、御礼の言葉を述べておきたい。
2004年5月30日 14時20分
[広報委員会]
ニュース117号(2004.7.10)より
総務 佐野泰雄
日差し、気温、湿度とも日本の夏を十分に感じさせる5月29日(土曜)、30日(日曜)の両日にわたり、白百合女子大学にて2004年度春季大会が開催された。正門を入り、豊かな緑のなかを緩やかに蛇行するアプローチを進むと、美しい学舎の立ち並ぶ大学の中心に導かれる。まことに瀟洒なキャンパスである。
大会第1日は、午前中に各種委員会、午後早く幹事会および役員会が開かれた後、1号館1308教室において14時20分より開会式が行われた。司会は白百合女子大学の篠田勝英氏。大会実行委員会委員長である山辺雅彦氏の開会の辞に続いて、白百合女子大学大京子学長より、設立母体のシャルトル聖パウロ修道女会、前身の仏英和高等女学校など、同大学が持つフランスと深い縁の紹介とともに、本会2004年度春季大会の開催歓迎のご挨拶をいただいた。これに対して、菅野昭正会長が答礼の言葉を述べた。
ひきつづき研究発表が行われた。第1部は14時40分より16時10分まで、第2部は16時30分から18時までである。合計33人が13の分科会に別れて研究発表を行った。いずれも盛会であった。
夕刻、レジナホールにて懇親会が行われた。篠田勝英氏の司会のもと、副会長柏木隆雄氏、ならびにフランス大使館文化担当官Pierre Koest 氏の挨拶、鈴木道彦氏の乾杯の音頭で始まった宴であったが、150名を越える参加者を迎えたこともあって、熱気溢れる交歓の場となった。途中、翌日の講演予定者であるMichele Hecquet氏、ならびにRene Depestre氏から挨拶をいただいた後も、楽しく賑やかな時間は快く流れていき、気がつくと終了の定刻を過ぎてしまっていた。われわれの学会のみならず人文系学問領域が直面している厳しい状況をひとときでも忘れさせるような活気に満ちた宴であった。
翌第2日は、「翻訳文学の可能性」と題されたシンポジウムで幕を開けた。時間は9時30分から12時までの2時間30分、司会は東京大学の塚本昌則氏、パネリストは、管啓次郎(明治大学)、真島一郎(東京外国語大学)、野崎歓(東京大学)、Jacques Levy(明治学院大学)の4氏である。それぞれの立場から興味深い報告がなされ、会場から質問も活発で、刺激的なシンポジウムになったが、パネリスト間の討論に割く時間がなかったことが悔やまれる。
昼休みをはさんで午後、二つの特別講演が行われた。Michele Hecquet氏(リール第3大学)の ≪ “Histoire de ma vie”, autobiographie du milieu du siecle et ses silences ≫(12時45分から13時45分、司会神戸大学坂本千代氏、別掲記事参照)、および作家・評論家Rene Depestre氏の ≪ La litterature haitienne d’aujourd’hui et la francophonie ≫ (13時50分から14時50分、司会一橋大学恒川邦夫氏、別掲記事参照)の二つである。静謐で学究的な前者と、躍動的で時には奔放な勢いを持つ後者という対照的な配置はまことに趣のあるものであった。
その後、14時55分より早稲田大学の川瀬武夫氏を議長として総会が開かれた。議長の粛々とした議事運営によって、人事案件を含めすべての議事がつつがなく終了した。
総会終了後、開催校に対する菅野会長の謝辞に続き、実行委員長山辺雅彦氏が閉会の辞を述べられ、本大会はその幕を閉じたのであった。参加者総数557名である。
以前よりの制度的改革の移行時期に行われた本大会であったが、これを見事な成功へと導かれた山辺雅彦委員長をはじめとする実行委員会のスタッフの方々には深い敬意と感謝を表明したい。また、大きな後ろ盾となって下さった白百合女子大学に対しても心からお礼を申し上げる。あの正門から緩やかな曲線を描いて続くアプローチや、夢のようなたたずまいを見せる学舎は、永く参加者の記憶にとどまるだろう。
2004年5月30日 13時58分
[広報委員会]
1)スタージュ問題審議会の答申
日本フランス語フランス文学会
会長 菅野昭正 殿
今般諮問を受けました、文科省の国内スタージュへの予算措置打ち切りに伴う諸問題について、学会として取るべき対応を当審議会にて協議し結論を得ましたので、以下の通り答申します。
答申
1963年に始まった国内スタージュは、今日に至るまで40年間会員の協力により多大な成果をあげてきたが、今回その運営経費の約4割を担う文部科学省が離脱した以上、本会とフランス大使館および他機関の協力をもってしても同様の規模のスタージュ運営は困難と思われる。またここ数年のスタージュ参加者数の減少傾向も、従来どおりの継続は難しいとの判断を裏付けるものとなろう。審議会は、こうした状況の変化を踏まえた上で、むしろこれをかえって好機として別趣のフランス語教育研修会を含む新しい事業を模索することが望ましいという結論に達した。
したがって、来年度以降、従来型の国内スタージュはこれを廃し、フランス語フランス文学会固有の新しいスフランス語教育研修会、あるいは別の新規事業が、幹事会の主導のもとに本会内のしかるべき部会で企画検討されるよう提案する。
また、文部科学省の離脱により、渡仏スタージュの企画運営は、その継続廃止をも含めてフランス政府の専権事項となろうが、もし何らかの形で継続されるのであれば、今後も会員の利益のために、この事業に対する協力と努力を惜しんではならない。
従来のスタージュは、相当の時間と労力と費用を費やしてきて、それなりの効果をもった。新しいフランス語教育研修会あるいは新規事業に関しても、相応の費用と努力が払われれば、また新たな展開がもたらされることを確信する。
なお、ことの経緯に鑑み、学会会長から文部科学省になんらかの形で、遺憾の意を表することが適当と考える。
本審議会は、本会会員の努力と協力を願ってこの答申を終える。
以上
2004年1月5日
日本フランス語フランス文学会スタージュ問題審議会
座長 柏木隆雄
委員 川瀬武夫
同 小林 茂
同 澤田 肇
同 塩谷 敬
同 竹内信夫
同 田中陽子
同 永見文雄
2)会長より審議会への回答スタージュ問題審議会委員各位
先般、柏木隆雄座長を通して、1月5日付の「答申」を拝受しました。4回にわたって審議を重ねられた由、遅ればせながら感謝いたします。
「答申」の趣旨はよく理解しました。佐野幹事長と協議する機会もありましたが、今後の対策については、まず、幹事会に委任することにしたいと考えています。その旨、了承をお願いした上で、個人的な意見を要点のみ記させて頂くことにしました。
(1)「従来型の国内スタージュ」を取りやめるのは、諸般の事情からしてやむを得ない。
(2)本会にふさわしい新しい形態の研修(「新規事業」)を行う必要性および可能性を検討する。そのための具体的な手順、方法については幹事会に委任する。
(3)フランス側の対応法はいまのところ予測の限りではないが、「事業を継続する」意向が示された場合には、「協力」を惜しまない。
今回の打切りの措置にたいして「遺憾の意を表する」件については、2月5日午後、佐野幹事長と同行、文部科学省に出向きました。担当部署の大臣官房国際課課長と面談、柏木副会長と合作した文部科学大臣宛て文書を手渡すとともに、学会の総意として「遺憾の意」を口頭でも伝えました。念のため、復活の可能性も打診しましたが、現在のところ、対応はかたくなと言うしかないまま終わりました。以上、簡単ながら経緯をお知らせいたします。
各位のご苦労に重ねて感謝するとともに、学事繁忙のおりから、ご自愛をお祈りします。
2004年2月11日
菅野 昭正
2004年5月30日 13時52分
[広報委員会]
1.2002年度第4回幹事会(2003年5月10日)で決定されたとおり、故望月芳郎先生ご遺族様よりの寄付金1,689,000円を学会奨励賞基金に組み込むため、運営規則を改正する。
第2章 学会奨励賞
第2条(基金) 本賞は、辰野隆氏、鈴木信太郎氏、小場瀬卓三氏、水野亮氏、高木進氏、高橋孝氏、鈴木敏夫氏、小林正氏よりの寄付金合計 6,652,074円に本会会計より4,600,000円を加え、合計11,252,074円を基金とし、その利息等を以て賞金に充てるものとする。
↓
第2条(基金) 本賞は、辰野隆氏、鈴木信太郎氏、小場瀬卓三氏、水野亮氏、高木進氏、高橋孝氏、鈴木敏夫氏、小林正氏、望月芳郎氏よりの寄付金合計 8,341,074円に本会会計より4,600,000円を加え、合計12,941,074円を基金とし、その利息等を以て賞金に充てるものとする。
2.2003年度秋季役員会(2003年10月25日)で決定されたとおり、運営規則をを改正する。
第1章 全国大会
第5条(大会補助費・貸付金) <1>本会は、本会会計より、大会補助費(大会日程2日の場合は30万円、1日の場合は20万円)を大会実行委員長に支給する。
↓
第5条(大会補助費・貸付金) <1>本会は、本会会計より、大会補助費(大会日程2日の場合は50万円、1日の場合は30万円)を大会実行委員長に支給する。
3.付則の追加
<2> 2004年(平成16年)5月29日、一部改正。