書評(小倉康寛『ボードレールの自己演出』)
小倉康寛『ボードレールの自己演出―『悪の花』における女と彫刻と自意識』(みすず書房、2019)の書評が届きました。こちらからご覧ください。
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評者:石井洋二郎(東京大学)
世界のロートレアモン研究の潮流は、ジャン=ジャック・ルフレールによるかなり確度の高い(ただし決定的ではない)詩人の肖像写真の発見をきっかけとして、1980年代以降は明らかに実証的な事実の探索にシフトしていった。ルフレールの主宰する雑誌『カイエ・ロートレアモン』に寄稿する一群の研究者たちは、イジドール・デュカスの、さらには彼を取り巻く縁者や友人たちの細かな伝記的情報を掘り起こすことに専念し、作品そのものをどう読むかという問題にはほとんど関心を払ってこなかったといっても過言ではない。しかしもちろんその一方で、ジャン=リュック・ステンメッツのように「テクストへの回帰」を標榜する論者も少なからず存在している。本書は、そのステンメッツのもとで本格的な研究を始めた著者が2004年にパリ第4大学に提出した博士論文に手を加えたものであり、まさにテクストへの回帰を果敢に実践した意欲的な労作である。
全体は三部構成になっている。 「運動する詩」Poésie en mouvement と題された第一部では、「反復」の概念を鍵として『マルドロールの歌』(以下、『歌』と略記)のテクストが具体的かつ綿密に分析される。この作品ではしばしば同一のフレーズが繰り返されるが、こうした修辞的技法は本来、操作主としての作者がテクストにたいして絶対権を振るう超越的な地位にあることを前提としている。ところが『歌』における反復は作品が進むにつれて単なる技巧としての範疇をはみ出し、エクリチュールを駆動するひとつの内在的な力学となっていく。そしてこの作品を彩る最も特徴的な形象である回転運動のうちに「書く主体」自身をも巻き込み、表象主体と表象対象のあいだに成り立っていたはずの安定した構図そのものを揺るがすに至るのである。
「詩のモラル」Morale de la poésieと題する第二部では、ロートレアモン=イジドール・デュカスの作品の倫理的側面に焦点が当てられる。『歌』と二冊の『ポエジー』との一見矛盾した関係については、これまでもさまざまな見解が提示されてきたが、著者はまず『ポエジー』に見られる「悪」から「善」への決定的な転換の意味を探り、否定の対象とされているロマン派詩人たちの「疑惑の詩」と「悪」の問題を検証した上で、そこから時間的にさかのぼって『歌』のテクストを逆照射するという手順を踏んでいる。ここで重要なファクターとして導入されるのが「アイロニー」の概念であり、これをキーワードとして『歌』における悪の称揚がもつ両義性が鮮やかに浮き彫りにされる。
第一部が作品の修辞学的分析、第二部が倫理学的分析として性格づけられるとすれば、「夢」Le rêve と題する第三部は主題論的分析と呼ぶことができよう。『歌』における夢(あるいは目覚め)や眠り(あるいは不眠)というテーマ設定自体はとりたててめずらしいものではないが、著者はシュルレアリスム、バシュラールの精神分析批評、ル・クレジオなどを周到に参照しながらも、そのいずれにも回収されることのない立場から夢とそれにまつわるもろもろの主題(夜、彷徨、通過、水、等々)について自在に論じている。著者の筆が最も伸び伸びと冴えている部分といっていいだろう。
以上は多岐にわたる内容のきわめて大雑把で不十分な紹介にすぎないが、私が何よりも感銘を受けたのは、著者がこれまでの研究史を十分に踏まえながらも、それらのいずれにも安易に依拠することなく、あくまで自分自身の知性と感性を武器として詩人と正面から対峙しようとしている、その基本的なスタンスの潔癖さである。確かにこの選択は自由な議論の展開を可能にする反面、全体を縫い合わせる統一的な方法論が見えにくくなる危険性と背中合わせでもあり、本書にもそうした徴候を看取する読者がいるかもしれない。しかし全体を読んでみれば、タイトルに掲げられた「他者の方へ」という言葉が第一部から第三部までを基調低音のように貫いていることがはっきり感じ取れるはずだ。詳細に論じる余裕はないが、本書の統一性はできあいの方法論によってではなく、「他者」をめぐる思考という一貫した問題意識によって支えられているのだと私は了解した。
本書には「文学的創造と伝達についての研究」というサブタイトルが付されており、その意味するところは「結論」で明快に総括されているが、これはおそらくロートレアモンに限らず、文学全般にたいする著者の関心のありかを端的に示す言葉でもあるだろう。じっさい、原氏は近年、マラルメを中心とするより広汎なフィールドに領域を拡大し、この問題に新たな光を投げかける仕事を展開している。近い将来、さらに大きな視点からその成果がまとめられる日の来ることを期待したい。
フランス語は明晰で淀みがなく、緻密な思考の運動を十分に支えている。なお、著者は本書によって2007年度の第24回渋沢・クローデル賞を授与された。