Site Web cahier ── 書評・エッセー・研究レヴュー

年2回発行されるcahier所収の書評とワークショップ報告に加えて、
フランス語・フランス文学に関するエッセーや研究レヴューを随時更新していきます。

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書評コーナー

過去の書評・エッセー・研究レヴュー

2008年9月6日 12時30分 [WEB担当]

2008年度春季大会ワークショップ3

WS

メランコリーの地平

パネリスト 瀬戸直彦(早稲田大学)、平野隆文(立教大学、司会)、岡田温司(京都大学)、須藤訓任(大阪大学)、コーディネーター 露崎俊和(青山学院大学

露崎俊和

 このワークショップでは、メランコリーという主題に関して幾つかの新しい地平を開き、かつそれらの地平間を統合的に展望する可能性を模索するという当初の課題に沿って、それぞれの専門領域から順次発言がなされた。まず、露崎が、ボードレールにおけるmélancolie, spleen, ennui という語の用例を比較し、19世紀においてメランコリーという概念が美的な紋切り型へと回収される一方、集合的な水準で、実存的な気分の問題へと結びついていく点を指摘した。続く瀬戸の報告は、フランス中世において mélancolie の語が「狂気」に近い意味をもつことを踏まえ、「真昼の悪魔」というトポスを考察し、メランコリーの概念がはらむ多義性について問題提起をおこなった。平野は、16世紀から17世紀にかけて本来医学の管轄であった mélancolie érotique が悪魔学によってその領有権を簒奪された後、再び医学的言説のうちに取り戻される過程を分析し、近代におけるメランコリーの問題が脱キリスト教化という思想史文脈のうちに位置づけられることを示唆した。西欧美術史を専門とする岡田は、デューラーの『メランコリア?』の解釈史を検討し、創造的主体のイメージを中心に据えたパノフスキー=ザクスルによる「天才の美学」から、バロック的なアレゴリーを先取りする作品と見るベンヤミン、表象像の二極性や想像力の二重拘束性を強調するアガンベンへいたる道程のうちに現代思想史の一断面を提示した。最後に、須藤は、西欧近代哲学の視座から、「哲学的の予備的条件としてのメランコリーという気分」に着目し、世界の存在の無根拠性を前にした憂鬱や退屈、あるいは不安において、まさしく世界の存在理由を問う哲学的問いかけが発生することを指摘した。その後、会場からはサルトルの『嘔吐』に関するメランコリーの問題、中世における『薔薇物語』の事例などが報告された。当日は午後からあいにくの雨だったが、定員百人ほどの会場は若干立ち見が出るほどの盛況であった。