Site Web cahier ── 書評・エッセー・研究レヴュー

年2回発行されるcahier所収の書評とワークショップ報告に加えて、
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過去の書評・エッセー・研究レヴュー

2009年3月23日 15時51分 [WEB担当]

2008年度秋季大会 ワークショップ1

WS

ネルヴァルの現代性を探る―生誕200年に際して

パネリスト 朝比奈美知子(東洋大学・コーディネーター)、水野尚(関西学院大学)、湯沢英彦(明治学院大学)、野崎歓(東京大学

 今日に至るまでネルヴァル研究は、文献学的研究、神秘主義的解釈、テーマ批評、あるいは構造主義などと、時代の文芸思潮の影響を受けながらこの詩人のさまざまな側面を明らかにしてきた。一方、Cl・ピショワ、J・ギヨームによる精密なテクスト校訂が進められてプレイアード新版の全集(1984-93)が編まれ、実証研究の新たな側面を開いた。以後、この新たなテクストに依拠しながらフランス内外でさまざまな研究成果が精力的に発表されている。一方、日本においては筑摩書房より中村真一郎・入沢康夫監修、田村毅・丸山義博編集の新版『ネルヴァル全集』(1997-2003)が刊行され、研究者はもちろん一般の読者にもネルヴァルの魅力を新たに提示した。2008年はネルヴァル生誕200年にあたり、フランスのスリジー=ラ=サルにおいて国際学会(J.・ボニー、G・Ch-マランダン、水野尚主催)が開催され、世界各国から集まった研究者が発表と意見交換を行った。ひとつの節目を経た今、われわれはネルヴァルの作品をどのような角度から読むことができるだろうか。このワークショップにおいては、ネルヴァルのテクストの再読、エクリチュール生成の現場の検証、受容史の検討、そして現代文学とネルヴァルの接点の検討を通じ、ネルヴァル作品の新たな読みの可能性の提示を試みた。パネリストの発表はそれぞれ異なる観点からなされ、時として意見の違いを浮き彫りにしつつも、たがいに有効に補完しあい、ネルヴァルの多様な魅力の一端を提示することができたのではないかと考えている。以下、それぞれの発表の要旨を発表順に記す。(コーディネーター・朝比奈美知子)

1.都市の放浪者ネルヴァル
朝比奈美知子

 生涯を通じて放浪者であったネルヴァルの道程は、パリへと収斂する。首都における放浪は、「近代」という時代の病理をみずからに刻みながらそこからの逸脱の可能性を探ったひとつの想像力の運動を垣間見せるものとなっているように思われる。

 『オーレリア』は「現実生活への夢の氾濫」を語る物語だろうか。それはむしろ、ピエール・パシェが看破したように、睡眠と夢の喪失の物語である。実際、『オーレリア』にしろ『十月の夜』にしろ、パリの放浪の物語は、いずれも執拗なまでに不眠を物語る。ネルヴァルは自らの放浪を「地獄下り」に譬えているが、このモチーフの変貌も注目に値する。古来地獄下りとは、現世の迷いを打開するための試練であり、ダンテにおいてはとりわけ、放浪者は、眠りという象徴的な死を経て新たな生の霊感を攫んだ。しかしながら、光の都パリで眠りを奪われた放浪者は、地獄(=眠り)への沈潜を禁じられ、永遠に睡眠と覚醒の中間、つまり煉獄をさまよう。彼の視線がせわしない移動の中で拾うものはすべて、太古の起源との結合を阻まれ、断片となって浮遊する。

 都市における睡眠と夢の喪失は、一方では、ネルヴァルの個人的かつ内面的な喪失、つまり狂気、愛する女性や母の喪失、自己同一性の揺らぎを象徴する。他方それは、近代都市パリの病理に根ざしている。放浪者に地獄下りを禁じるのは、じつは、闇を放逐した光の都市パリなのだ。ネルヴァルの喪失はつねに、個人・内面的レベルと、社会・歴史的レベルの重層性を孕んでいるのである。

 しかし、そうした二重の喪失の中でネルヴァルは、脈絡のないイメージの氾濫と化した都市の相貌に、近代文明に「バベルの災厄」(=起源から切り離され統一を失った混乱としての言葉の世界の出現)を見たフーコーのごとき視線を投げていたのではないか。また、偶然に導かれ徹底した受容に徹する彼の視線は、すでにシュルレアリストのそれを予感させないだろうか。そうした霊感は、ネルヴァル自身の中では、いまだ名指されない状態に留まっている。しかし、負の土壌の中で格闘しながら、彼はすでに未来の想像力の運動を生きはじめていたように思われるのである。

2.コピー・ペーストの時代にネルヴァルを読む
水野尚

 21世紀にネルヴァルをどのように読み直すのか。この問いに答える一つの試みとして、ネルヴァルの受容史を振り返ってみた。

生前のネルヴァルは、風変わりでありながら、ユーモアや皮肉を込めて同時代の社会を描く現実主義的な作家とみなされることも多かった。実際、時事的な出来事をテクストの中に取り込み、紋切り型の表現を故意に取り上げては、それを逆転させたりもした。また、自分の言葉だけではなく、他者の言葉もこっそり引用し、織物を構成する糸(主題)ではなく、編み方(アレンジ)の妙で、独特な手触りを持つテクストを織り上げる術を心得ていた。その意味で、意識的にコピー・ペーストを文学技法として用いた文士だったと言えるかもしれない。

 ところが、1855年1月26日の朝、ネルヴァルのテクストを読むさいの、現実と非現実のバランスを一気に変化させる事件が起こる。あまり人が足を踏み入れることのないような場末にある安宿の窓に紐をかけ、彼は縊死する。その自死が大きなスキャンダルとなり、狂気、夢、幻想等の模様が、テクストのいたるところで読み取られるようになる。19世紀後半の象徴主義の時代には、イデアリスム的側面と同時に病理学的な側面も強調され、20世紀前半のシュルレアリスムの時代になると、夢と狂気がネルヴァルを読むキーワードとして揺るぎない地位を占める。彼の描くヴァロワ地方の風物を国家主義的な思想に利用することもあったが、基本的には、夢、狂気、幻想、神秘主義等を中心にした解読が、20世紀半ば以降も主流を占めてきたといっていいだろう。

 20世紀後半に至り、作家・詩人としてのエクリチュールに焦点を当てる試みも行われるようになる。そして、コピー・ペーストが一般化した21世紀。今こそ、既存の言葉を巧みに織りなしたネルヴァルのテクストをより詳細に解明する機会に恵まれている等と言えば、悪い冗談でしかないのだろうか。

3.「祝福された朝」―プルーストの「シルヴィ」読解
湯澤英彦

 プルーストが「シルヴィ」に関する断章を記したのは、『失われた時を求めて』へと結実してゆくプロセスの、そのごく初期段階のことであった。一人称回想体の小説部分に続き、母との会話においてサント=ブーヴ批判が展開されるという、二部構成の作品構想が生きていたときのことだ。前半の小説部分を後半の批評的な言説が正当化するという形であり、20世紀のはじめに、いかにして文学が可能なのかを問う姿勢がそこに明快に表れている。そうした文脈を意識しつつ、プルーストの「シルヴィ」断章を考えてみよう。

 サント=ブーヴ批判の骨子が述べられている断章の冒頭には、過ぎ去った印象こそが芸術の唯一の素材であると明言されていて、それはあたかも死者の魂のように、物質的な事物に身を隠しながら、蘇生の時をまっているという。おおよそ19世紀後半の、ボードレール以降の地平における詩人たちの悪戦苦闘ぶり―それは「煉獄」における彷徨ともいえるだろう―を考えると、いかにも素朴な確信と映るが、プルーストの場合、この無防備さとひきかえであるかのように、生の輝かしさを肯定しようとする意志が強く打ち出されことになる。というのも、過ぎ去った印象を回復して、それを単に懐かしむ姿勢が問題なのではなくて、重要なのは、過去のある経験を純度の極めて高い生の一片として蘇らせることなのだ。そうした生の断片を、プルーストは別のサント=ブーヴ断章で「純粋に保存された純粋な生」と呼んでいる。

 そして彼がネルヴァルの「シルヴィ」に感動し、そこに確かに読み取ったのは、やはり「純粋な生」なのではなかっただろうか。語り手の「私」がシルヴィとともに彼女の祖母の家を訪れる場面を例に挙げ、プルーストはそれを「祝福された朝」と呼ぶ。薔薇がただ薔薇色であるのを見ただけで、光をきらっと反射する緑色を木の幹に見ただけで、もう涙しそうになるような、そんな朝があるという。ささやかな美しさなのにすっかり酔い心地になり、夢の喜びで身も心も包んでくれる生の一瞬があるのだ。そのとき夢は現実の彼方にあるものではないし、生はまさしく現実の生でありながら、夢のように微笑んでくる。その瞬間の甘さや芳しさを、プルーストとともに素直に受けとめることが、ことによったらネルヴァルをいま読むことの最大の喜びなのかもしれない。

4.ネルヴァルとジュネ ―『東方紀行』の現代性
野崎歓

 現代フランスの作家たちにとって、ネルヴァルは刺激的な存在であり続けているだろうか? ネルヴァルの影響下に書かれた作品が、すぐに思い浮かぶわけではない。とはいえ、優れた女性作家フロランス・ドゥレが『塩密輸人』の作者に捧げた、共感あふれるエッセイ『ネルヴァル譚』(Florence Delay, Dit Nerval, 1999)の如く、放浪や旅、そして異文化との接触といった主題においてネルヴァルの現代性を発見し直すケースにはなお、事欠かない。ジャン・ジュネの遺作『恋する虜』(Jean Genet, Le Captif amoureux, 1986)は、なかでも特筆すべき一例である。

 ジュネはその特異な散文テクストの最後に、これは「わが数次にわたる東方紀行」を回想するルポルタージュであると記している。事実、そこに綴られたパレスチナ解放闘争随伴の記録は、ロマン派以来の「東方紀行」ジャンルの一つの到達点とみなし得る内容をもつ。ネルヴァルへの直接の言及はわずかとはいえ、『恋する虜』はネルヴァルの『東方紀行』(Gérard de Nerval, Voyage en Orient, 1851)との強い類縁性を示す作品なのである。

 戦乱の傷痕をなまなましく示すレバノンを彷徨い、死と隣り合わせの日々をたくましく快活に生きる戦士たちの姿に魅されつつ、「前イスラム的」な異教信仰の深層に触れようとするジュネの姿勢は、レバノンの山中に分け入ったネルヴァルの探求を引き継ぎ、生き直すものと感じられる。とりわけ、ジュネの胸に刻まれ、長年にわたる固定観念と化す、若い戦士とその母のイメージは、ネルヴァルのいわゆる「原初のイシス」のイメージになぞらえるべき神話的喚起力を備えている。

 逆に、こうした照応関係は、ネルヴァル作品の内にすでに息づいていた「ジュネ的」な部分へと、われわれの注意を喚起してくれるだろう。フランスおよび西洋社会に対する根底的な批判や反逆、「よそ者」としての分を守りつつ異文化とのあいだに築かれる友愛。『恋する虜』の魅力をなすそうした特徴は、そのままネルヴァル『東方紀行』の美質でもある。そこにこそ、ネルヴァル作品の今なおアクチュアルな魅力の根幹を見出すことができるのではないか?