ワークショップレジュメ
2005年5月28日(土) 15:45~17:45
(1) J・P・サルトルと19/20/21世紀文学 ─ 驚異、贈与、倫理 5124教室
パネリスト:澤田直(コーディネーター)・若森栄樹・永井敦子
サルトル生誕100年にあたり、本ワークショップでは、批評家としてのサルトルに焦点を絞り、その射程を討議することにしたい。サルトルはカミュをはじめ同時代の作家について多くの評論を発表したのみならず、フローベール、マラルメといった19世紀の作家にもひとかたならぬ関心を寄せ、論考を書いている。また、アンガジュマンの思想は、ポストコロニアル批評に見られる倫理性に大きな影響を与えている。ところが、時代を超えた検証はこれまで主題的には行われてこなかった。
サルトルを中心に研究しているコーディネータ澤田が批評家サルトルの位置づけに関する見取り図を描いたあと、若森さんに『マラルメ論』との関係から、贈与、倫理といった問題について触れていただき、永井さんにはシュルレアリスムとの関係を、『文学とは何か』や美術批評などにも触れながら提起していただく予定。フロアも含めて活発な討論を行いたいと考えている。
(2)パリ映像の世紀 5125教室
パネリスト:岡村民夫(コーディネーター)・今橋映子・谷昌親
映像(写真、映画)による20世紀のパリの表象という基本テーマは、必然的に文学のステイタスの問いなおしを含む。写真家や映画監督と文学者とのあいだには、密接な相互触発があった。またそもそも、映像表現と単純に呼ばれている事柄のうちには、タイトル、キャプション、字幕、セリフ、看板、落書きなど多様な言表が複雑に混入している。既成の専門研究間の垣根のせいでこうした猥雑で豊穣な交錯が軽視されてきたのは、不幸なことではないだろうか。今橋映子は「パリ写真」というコンセプトの導入により、谷昌親はシュルレアリストとパリの関係の再検討により、岡村民夫はゴダールのパリ回帰の分析により、不毛な分断に抵抗するだろう。その結果、パネラーやオーディエンスのあいだに、メディアやジャンルや時代の違いを越えた応答が展開すれば、本ワークショップは成功といえる。なぜなら、思いがけない横断的交錯(モンタージュ)こそ「パリ」に酷似しているから。
(3)ラブレーの今日 5121教室
パネリスト:細川哲士(コーディネーター)・宮下志朗・荻野安奈・平野隆文
今年の初めとうとう宮下志朗による新訳『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の刊行がはじまった。渡辺一夫訳の完成以来40余年ぶりの快挙である。これからは、いつの間にか別の時代の言葉で語られ、クラシックな教養でかためられ、取り付きにくいものとなってしまった訳本を、本当は名訳なのだがと、つぶやきながら、学生たちに勧めて、感ずるうしろめたさが全国的に軽減されるようになるだろう。
これを機に、日ごろ教室で若い世代の人々とともにラブレーを読んでいるラブレジアンの前衛に3名集まっていただいて、それぞれの視点から、ラブレーの今日について語ってもらう機会をもうけた。語る主題を何にするかは、各人にまるなげしてある。