Proust et le nouvel écrivain
Universite de Strasbourg Ⅱ
司会 吉川一義(首都大学東京)
ストラスブール大学教授リュック・フレース氏は、本会推薦によるフランス政府文化使節として5月26日から6月5日にかけて来日し、東京、名古屋、京都で、氏が専門とするプルーストに関する一連の講演をした。「プルーストと新しい作家」と題する本講演はそのひとつで、独創的な芸術家の出現による世界をみる目の更新というプルーストの芸術史観に、あらたな文学史の可能性を見出そうとする試みであった。
講演の出発点は、『失われた時を求めて』の第4篇「ゲルマントのほう」に出てくる「新しい作家」をめぐる一節である。主人公の愛読していた作家ベルゴットの小説に新鮮味がなくなると、一部の文学通のあいだで新奇な表現の作家(ジロドゥーがモデル)がもてはやされるようになる。このように「世界は独創的な芸術家の出現のたびに再創造される」のだが、その新しいヴィジョンはかなりの「時間」をへて世間に認知され、その後、いつしか新鮮味を失い、さらにべつの新たな芸術家の出現をみるという(プレイヤッド版第2巻622-623ページ)。
ここでプルーストは、われわれの世界をみる目の更新を説明するため、印象派画家ルノワールの受容史をふり返ったり、新たな作品がもたらすヴィジョンを眼科医の治療にたとえたりしている。フレス教授法は、この一節を伝統的な「テキスト分析」の手法でくわしく解説したうえで、このような芸術史観をあらたな文学史の出発点にできないかという問題提起をした。ヌーヴェル・クリティックは、作品創造過程とその日付にもとづく文学史を批判したが、プルーストの芸術史観は作品受容をめぐるべつの文学史の可能性を示唆するというのである。
興味ぶかい講演であっただけに、ヴィジョンの更新を「進化」ないし「進歩」と考えるべきか否かなど、会員からの質問を受ける時間がなかったのが惜しまれる。(吉川)