自己を語るエクリチュール
自己を語るエクリチュール
パネリスト | 小倉孝誠(慶應義塾大学) 渡辺芳敬(横浜市立大学) 有田英也(成城大学) |
このワークショップではこうした多様なエクリチュールを取りあげながら、人はなぜ自己を語ろうとするのか、何を、どのように物語るのかという問題について考えてみた。
小倉孝誠は主に19世紀の自伝(スタンダール、シャトーブリアン、ジョルジュ・サンドなど)を対象にして、自伝というジャンルが誕生した文化的・社会的背景を喚起しながら、ロマン主義時代の自我の構図に迫ろうとした。
有田英也はペレック、サロート、サルトルなど20世紀作家の自伝作品に依拠しながら、歴史、戦争、ユダヤ人問題とのせめぎ合いの中で作家の自己がいかに造形されていったかを論じた。
そして渡辺芳敬は現代の思想と文学(特にバルト、フーコー、サルトル)を参照系として、いま自己を語ることのベクトルがどのような布置にあるのかを問いかけた。
会場からはさまざまな意見が発せられた。自伝に関して、パネリストたちは暗黙のうちに、フィリップ・ルジュンヌによる定義を念頭に置きながら議論を展開したわけで、したがってルソー以降の近代文学を特権的に論じたわけだが、中世のトルバドゥールやヴィヨンの詩にもすでに自己を語るエクリチュールが芽生えているという指摘がなされた。
また、自伝における「語る自己」と「語られる自己」の関係が作家によってはきわめて錯綜していること、写真や映像などの視覚表象が20世紀作家における自己のエクリチュールに大きなインパクトをもったのではないか、という意見も出た。
いずれにせよパネリストと聴衆の間に活発で刺激に富む議論が展開し、パネリスト自身も多くを学んだ意義のあるワークショップだったと思う。盛り上げてくれた参加者の方々にあらためて感謝したい。(小倉)