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2006年1月1日 00時00分 [WEB担当]

cahier 00, juillet 2007

書評
 


激情と神秘―ルネ・シャールの詩と思想

作者: 西永良成
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2006/01/26
メディア: 単行本
クリック: 7回


西永良成『激情と神秘,ルネ・シャールの詩と思想』
評者:三野博司

西永良成氏の仕事の出発点がカミュにあったことを知っている世代は、今では、仏文学会においても一定年代以上の少数派に属するのかもしれないが、『評伝アルベール・カミュ』(白水社、1976年)の衝撃は忘れられないものである。今日においても、この研究書の重要性はいささかも褪せていないが、当の西永氏は、カミュについて語るべきことはもはやないとでもいうように、その後次々と新しい仕事を開拓していかれた。

 カミュ論から12年を経て刊行された『サルトルの晩年』(中央公論社、1988年)においては、浩瀚なフロベール論『家の馬鹿息子』などの分析を通じて、生きながら煉獄にいた感のあった70年代のサルトルの姿に肉薄して、これを救い出そうとの試みがなされた。今日の視点からは、その仕事の先駆性がいっそう際だつように思われる。

 その後、十指に余るクンデラ作品の翻訳が続くが、そのなかで書き下ろされた『ミラン・クンデラの思想』(平凡社、1998年)は、「笑い」「性」「反抒情」などの諸テーマの読解を通じて、クンデラの小説の魅力とその思想の解明への最良の導きとなっている。なかでも「キッチュ」を論じた最終章は、卓越した現代文明批判の射程をもつものである。

 あまたある『異邦人』論のなかでも、ルネ・ジラールの分析はその独創的な視点において群を抜いていたが、この論攷によってジラールの熱心な読者となった西永氏は、80年代前半にジラール理論を使って日本の近代小説を論じた。21世紀に入って、これらの論文に新たな数章が書き加えられて、『〈個人〉の行方 ルネ・ジラールと現代社会』(大修館書店、2002年)が刊行された。先にあげたクンデラについての書物とも一部において共通の主題をあつかうこの著作において、私たちの生きる時代に対する西永氏の透徹した思想を知ることができる。

 西永氏がルネ・シャールの熱心な読者でもあることを明らかにしたのは、ポール・ヴェーヌ『詩におけるルネ・シャール』(法政大学出版局、1999年)の訳者あとがきにおいてであった。そもそもはカミュに導かれてシャールの詩に関心を抱くようになった西永氏は、ヴェーヌの大著を翻訳する決意へと至ったのである。ヴェーヌの研究は、シャールの世界へのこれ以上は望めないほどの懇切な導きであった。詩には冥い私のような者にも、ヴェーヌによって、難解なシャールの詩の秘密が少しながら開示されたような思いがしたものである。30年にわたりシャールと親交のあったヴェーヌは、自分が直接知っている詩人をルネと呼び、作品の解釈によって得た詩人の姿をシャールと名付けて区分するという配慮のもとに、詩人から直接聞き出すことのできた作品自注をもおりまぜながら、邦訳で750頁に達するきわめて詳細な解説書を書き上げた。とはいえ、著書自身が「これほど難しい本」を翻訳した西永氏の労を讃えているように、ヴェーヌの著作自身がなおかつ晦渋でもあった。

 そしていよいよ西永氏がみずからシャールを論じた書物が刊行された。ヴェーヌの大部な著作を上回るさらに浩瀚な書物であり、著者自身が「ライフワーク」と呼ぶにふさわしく、質量ともに圧倒的な大著である。対象がカミュであれサルトルであれ、あるいはクンデラやジラールであれ、西永氏の論述はつねにいささかの曖昧さもなく明晰そのものだが、相手が難解をもって知られるシャールであっても、その姿勢はまったく変わらない。あたかもプロヴァンスの陽光の下で事物のそれぞれが輪郭と細部をくっきりと浮かび上がらせるように、西永氏の明知の光のもとで、シャールの秘教的な用語の一つ一つ、詩篇の一篇一篇が懇切かつ精妙に解説されて、その意味が明らかになっていく現場に私たちは立ち会うことになる。ヴェーヌの著作においてときには衒学的でまだまだ難解であった注釈は、ここでは明快な用語と丁寧な解説によって、おどろくほどにわかりやすいものになっている。

 シャールを論ずるために西永氏が選んだのは、カミュのときと同じく「評伝」という形式である。第1部からシャールの生涯を追いつつ、それぞれの時代における詩人の仕事と思想についての詳細な解説が展開されており、シャールの全体像がくっきりとあざやかに提示されている。全4部のうちの第3部だけは独立した性格をもち、「至高の対話」と題されている。ヘラクレイトス、ラ・トゥール、ランボーなど、シャールが神秘的な交流をおこなった哲学者、画家、詩人たちがとりあげられ、さらにはヴェーヌが回避したハイデガーとの関わりについても、いっそう踏み込んだ論述がなされている。

 ヴェーヌの著作を日本語訳で読むことができるばかりか、その難解な研究書を補完すべく、日本語で書かれたこのように十全たる書物をあたえられた私たちは、なんと恵まれていることかと思わずにはいられない。