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2008年2月14日 13時36分 [WEB担当]

中村栄子『プルーストの想像世界』

書評
 

 プルーストの想像世界

作者: 中村栄子 
出版社/メーカー: 駿河台出版社 
発売日: 2006/12 
メディア: 単行本 
クリック: 3回 


評者:牛場暁夫(慶應義塾大学

 この著作には、作者が長年にわたって打ち込んでこられたフランス文学研究の多くの豊かな成果が集められている。「あとがき」には本書が「気楽な読み物」であることが書かれている。たしかにプルーストの作品からの引用も豊富で、読者は多彩な文学的な連想に誘われてゆくし、プルースト特有のイメージの饗宴に参加する楽しみをこの本に見出すこともできるだろう。

 しかし、小気味よく次々にまとめられ、時として断言されてゆく多様な論点が、実は作者の深い学識や文学的教養、また繊細な文体分析のセンスに支えられ裏づけられているものであることに読者は少しずつ気づかされることになる。中村栄子氏はクロード・アザジほか数人による『欧米文芸登場人物事典』や、言語学関係の学術書数冊の翻訳を手掛けてこられたし、また最近の学会での研究発表の動向などにも精通されてもいて、そうした幅広い知識がこの著作に深みと厚みを与えている。このため本書は随所で刺激的なヒントを与えてくれるものとなっている。

 評者にとってとりわけ印象深かったのは、第二章「プルーストの寝室」に含まれている「『私』+複合過去」である。この論ははじめフランスのプルースト研究論叢にフランス語で発表されたあと、今回本書のために書き直されたものだが、プルースト特有の複合過去の使用が、『失われた時を求めて』全体の構成をも視野に収めつつ緻密な視点から分析されていて、記憶に鮮明に残るものとなっている。複雑で微妙な時制の問題が、ピエール・ギローの論点を援用しつつ整理され展開されていて間然するところがない。作者はピエール・ギローの言語論を二冊翻訳されているが、その体験がこの論文に具体的な形となって結実したのではないだろうか。      

 また、貴重な引用を読むこともできる。例えば、レミニサンスに関する独自の解釈を提示するサント=ブーヴの文(「新月曜評論」1864年11月28日)を第三章において読むことができる。評者は寡聞にしてこの文章の存在を知らなかったので、知的な興味をおおいにかきたてられた。もっとも、こうした豊富な学殖に敬意をおぼえつつも、せっかくの重要な引用を断片的なものに終わらせず、論旨をさらに展開させ広い文脈の中に引用を位置づける作業も同時に読みたくなったことも確かである。しかし、それは望蜀の言というものになってしまうだろう、中村氏は本書を学術書としては執筆されなかったのだから。  

 第三章「記憶と身体」では、無意識的記憶が心情や心理ばかりからではなく、「全心身の動転」から生じる現象として把握されていて、時として抽象的かつ知的に論じられるきらいのあるこのきわめてプルースト的な現象の特質があらためて正面から提示され直されている。また、プルーストにとっては、記憶が「無数の壷の集合体」のようなものに見なされているという、これもまた時に忘れがちな、しかし重要な出発点が再確認されていて、共感をおぼえる。

 ただ、文学的教養が多岐に渡るものだからだろうか、論旨が時に自由連想に走り、論調が唐突な断言で終わる箇所も散見される。例えば、第五章では、ナプキンで口を拭った時におぼえる無意識的記憶を、筆者は『千一夜物語』の書き換えであると断定する ―― この無意識的記憶は「アラジンが洞窟に閉じ込められ、万策尽きて両手を合わせ、最後の祈りを捧げると、指にはめたことを忘れていた魔法の指輪をこすってしまい、そこに魔神が出現して彼を洞窟から開放する、という話の書き換えにほかならない」。この五章では、ほかにもスワンとオデットが『白鳥の湖』にあやかったものとされているが、一般読者に向けた今少しの丁寧な説明があったほうがよかったのではないだろうか。

 中村氏は1972年にパリ第四大学に提出したジッド研究で博士号を取得されているが、本書の第一章はジッドとプルーストとの性生活を含めた手際よい比較に割かれている。また、中村氏は生成研究や、精神分析研究によるプルースト研究の最近の成果も紹介し、さらにそこに独自の見解も加えられている。本書からは旺盛でたゆまない学術的探求心が十分にそして確実に伝わってくるし、知的で文学的なフランス文研究者の熱気さえも感じ取ることができるのである。それが本書を「気楽な読み物」に終わらせず、学術的良心に溢れる敬服すべき一冊にしているのである。