2005年度秋季大会
ニュース121号(2005.11.20)より
幹事長 有田英也
2005年度秋季大会は、10月15日(土)、16日(日)の2日間にわたって新潟大学で開催された。新潟駅から在来線に乗って、車窓のすぐそこまで木立の枝がかかる長閑な郊外で列車を降りる。会場に着いた会員は、受付に詰めてまめまめしく働く開催校スタッフの暖かいもてなしを受けたはずである。この秋に催されるふたつのシンポジウム、クローデルとサルトルのポスターも目を惹いたろう。
大会初日は、午前に各種委員会、正午すぎに幹事会、次いで役員会が開かれた。すでに春の総会で決定された学会誌編集方針の転換をいかに円滑に行うか、また本会と日本フランス語教育学会および駐日フランス大使館が初めて三者で共催するフランス語教育国内スタージュを成功させるにはどうすればよいか、それを総会で問うための最終的な議論がなされた。
その後、総合教育研究棟2階のB255教室で、逸見龍生氏(新潟大学)の司会により開会式が行われた。大会実行委員長を務める高田晴夫氏(新潟大学)の開会の辞の後、開催校代表として、やむなくご欠席の新潟大学学長長谷川彰氏が事前にしたためられた挨拶を、人文学部長芳井研一氏が代読された。これに対して、塩川徹也会長が答礼の辞を述べた。
14時10分からは、二部に分かれて12の分科会が設けられ、27人の会員が研究発表を行った。これは昨年秋に北海道大学で開催された研究発表会に匹敵する、地方大会としてはきわめて活発といいうる数であった。それだけに司会者を選ぶにあたって大会実行委員会が並々ならぬ努力をされたと推し量られる。
懇親会は、新潟駅から信濃川を渡った飲食街の中枢(タクシーの運転手さんがそう言うのだから間違いはあるまい)に位置するホテルイタリア軒に所を移した。開催校の用意した送迎バスが、折からの雨に功を奏した。参加者が164名に達する盛会であった。逸見龍生氏の司会のもと、副会長吉川一義氏の乾杯の音頭で始まった会は、郷土料理と地酒のおかげで寛いだ雰囲気のもと、なごやかに続き、翌日に講演を控えたオリヴィエ・ビヴォール氏(トリエステ大)、ならびに着任早々のフランス大使館教育担当官ジャン=フランソワ・ロシャール氏からも励ましの言葉を頂戴した。新潟大学名誉教授松崎文則氏からは、本会と新潟大学の縁が語られた。
翌16日(日)は、9時30分から、中地義和氏(東京大学)の司会のもとで、ビヴォール氏の≪Le symbolisme et la langue≫と題された特別講演が始まった。
引き続いて、10時45分からは、四つのワークショップが開催された。すでに3度目となったこの企画だが、今回も新潟大学および会員たちの努力で素晴らしい企画を見せてくれた。高木裕氏(新潟大学)をコーディネーターとする「テクスト論の行方」は、理論研究の地平を開く試みだった。坂本千代氏(神戸大学)をコーディネーターとする「ジョルジュ・サンドを21世紀に研究することの意味はなにか?」は、作家の生誕200周年の翌年にあたって、対象と方法の捉え直しをめざすものだった。18世紀フランス研究会特別企画と銘打った「サドにおける読者」は、宮本陽子氏(広島女学院大学)をコーディネーターとして、この扱いの難しい作家に取り組んだ。けれども、けっして優劣をつけるわけではないが、多くの会員が傍聴して活発に議論したのは、語学教育委員会企画の「フランス語教育の危機的状況を考える」であった。コーディネーターの太原孝英氏(目白大学)らの努力でつかみ出した問題点を、新潟に置き去りにすることなく、今後の学会活動に生かしたいものである。フランス大使館のロシャール氏も会場にあって、高校のフランス語教員に言及した質疑応答を、会員から通訳してもらっていた。
その後、13時45分より、稲垣文雄氏(長岡技術科学大学)を議長として総会が開かれた。議長のさわやかな弁舌に助けられて、すべての議題はつつがなく終了した。
総会終了後、ただちに閉会式に移った。塩川徹也会長が開催校に謝辞を述べられ、村上吉男氏(新潟大学)の閉会の辞によって本大会は成功裏に幕を閉じた。参加者総数は317名であった。
秋季大会を見事な成功に導いてくださった大会実行委員長高田晴夫氏をはじめ開催校のスタッフに方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げる。また、ときには夏休みを返上して大会の準備にたずさわってくれた学会事務局の2人の書記、丸山理絵氏と漆原みゆき氏にもお礼の言葉を述べておきたい。
もうひとつ、この場を借りて感想を述べさせていただきたい。日本フランス語教育学会は、本会に2週間先立つ10月1日(土)と2日(日)の2日間にわたって関西大学で秋季大会を開催した。アジア各地のフランス語教育指導者の来日に合わせての開催であったと聞いている。「フランス語教育の危機的状況」を両学会がともに考えられる場がいつか持てたらと祈念する。