書評(小倉康寛『ボードレールの自己演出』)
小倉康寛『ボードレールの自己演出―『悪の花』における女と彫刻と自意識』(みすず書房、2019)の書評が届きました。こちらからご覧ください。
小倉康寛『ボードレールの自己演出―『悪の花』における女と彫刻と自意識』(みすず書房、2019)の書評が届きました。こちらからご覧ください。
Éric Bordas (dir.), Balzac et la langue, Paris, Éditions Kimé, 2019の書評(自著紹介)が届きました。こちらからご覧ください。
足立和彦『モーパッサンの修業時代 作家が誕生するとき』(水声社、2017年)の書評(自著紹介)が届きました。こちらからご覧ください。
松本陽正『『異邦人』研究』(広島大学出版会、2016)の書評(自著紹介)が届きました。こちらからご覧ください。
木村哲也『フランス語作文の方法(表現編)』(第三書房、2016)の書評(自著紹介)が届きました。こちらからご覧ください。
ポストコロニアルとフランス語表現作家
立花英裕
パネリスト 立花英裕(早稲田大学、コーディネーター)、中村隆之(明治大学)、鵜戸聡(日本学術振興会特別研究員)、大辻 都(東京大学大学院博士課程)、工藤 晋(東京都立芸術高校)
このワークショップでは、4人のフランス語表現作家―フランツ・ファノン、カテブ・ヤシン、マリーズ・コンデ、エドゥアール・グリッサン―を、ポストコロニアルな視点から比較検討することを試みるものだった。ここでいうポストコロニアルとは、植民地支配終焉後の旧植民地の状況だけでなく、植民地支配時代をも含めた近・現代世界の統制構造と認識編成の現れとしての諸情況、あるいは、その告発としての文学・思想を指す形容詞として用いられている。できるだけ共通の座標軸をもつために、「移動」という視点を導入してみた。パリでのエメ・セゼールとサンゴールの出会い、あるいはジャマイカから米国に渡ったマーカス・ガーヴェイの例に代表されるように、ポストコロニアリズムは交通手段が発達した20世紀における移動を抜きに語れないからである。以下は、4人の発表者が共同でまとめた発表要旨である。
最初の中村報告「ファノン、あるいはアンティーユ人であることの問い」は、マルティニック島生まれの黒人精神科医にしてアルジェリア革命の闘士フランツ・ファノン(1925-1961)のアイデンティティをめぐる問いを手がかりに、彼の度重なる移動の経験を読み解くものだった。ファノンは、1946年に故郷を出た後、一度の帰郷をのぞけば、つねに異郷で生きた人物だった。この移動の経験をデペイズマン(日常からの脱出/異郷の居心地の悪さ)という語において捉える海老坂の指摘を導きに、中村報告は、ファノンのデペイズマンがアンティーユ人であることをめぐる解決しがたい難問と不可分であったのではないか、という論点を提出した。アンティーユ人であることの問いは、エメ・セゼール以降の知識人が抱えることになる難問である(なおクレオール性もこの問いの延長線上にある)。中村によれば、ファノンにおいてこの問いはネグリチュード批判とナシオンの創出という目的のうちで解決されるが、実際のところ、彼は流浪の経験をとおしてこの問いそのものを生きたのではないか。このことを考えるにあたり、中村は、グリッサンのデトゥール(迂回)という概念を援用する。デトゥールとは、アンティーユ人の一般心性のうちに存在するとされる奴隷制度以降の生き延びの戦略であり、目的に向かって直進するのではなく、回り道をすることである。この心性の次元において捉えるならば、ファノンの移動と脱出もまたある種のデトゥールであり、それをとおしてファノンは故郷にナシオンの観念をもたらし、政治的戦いを鼓舞したと考えられる。さらに言えば、彼の流浪それ自体が、アンティーユ人の複数性と混淆性、すなわち、アンティーユ人のアイデンティティが世界への開放としてしか存在しないということを示しているのではないかと指摘した。
鵜戸報告「カテブ・ヤシンとコスモロジーの軌跡」は、アルジェリアを代表するフランス語作家カテブ・ヤシン(1929-1989)をとりあげ、その作品群がアルジェリアを徹底的に問うことによって逆説的に世界文学的な広がりを獲得していることについて論じた。アルジェリアという閉ざされたトポスを書き続けるエクリチュールが、同時に世界にむかって開かれていく、そのパラドクシカルな機能を担保するのがカテブのフランス語である。カテブ・ヤシンはレアリスムの作法に則って現実のアルジェリアを写し取るのではなく、あるべき本来的なアルジェリアを、その起源から未来へと繋がる潜在的な姿のうちに描き出そうとする。それはことばによって自律したひとつの世界像を構築することであり、いわばコスモロジーとしての「アルジェリア」の創造と言える。しかもそれは一つの作品のみで作られるのではなく、カテブの書き続けたあらゆるテクストがそのマテリアルとなっているのであって、彼のアルジェリアを書き続けるというテクスト産出のダイナミズムが一つのコスモロジーの記述、すなわちコスモグラフィーとして機能しているのである。カテブ自身も円環状のフラグメント構造を持つ小説『ネジュマ』について「一冊の本を通してアルジェリアを産み落とそうとしたのだ」と述べ、さらにこのアルジェリアというものを「死につつある世界のなかで生まれつつある世界」と呼んでいる。この過去から現在に連なり未来へと投げかけられていくアルジェリアというナシオンは、その歴史性のなかに無限の多様性を孕みながら、カテブのコスモグラフィーの運動の中、あるいは読者の終わらざるレクチュールの中で、不断の運動を続けて行く。動き続けるエクリチュールの織りなすナシオンとしてのアルジェリアは、常に未完成でありつつ、未来に向かって作りつづけられるべきものなのである。
大辻報告では、「マリーズ・コンデ、アフリカ・アメリカ・アンティーユの往還」と題し、移動抜きでは成り立たないマリーズ・コンデの作家としての軌跡を考察する。
カリブ海の奴隷の末裔でありながら、フランスへの「同化」が進んだブルジョワ家庭出身であるコンデがアンティーユ人の分裂したアイデンティティを意識したのは、エメ・セゼールの長編詩『帰郷ノート』とそこに表れるネグリチュードの思想を通してであった。この読書体験をきっかけに、コンデは自らの起源をもとめて現実のアフリカ大陸へと旅立つ。だが彼女がそこで目の当たりにするのは独立直後の政権による独裁や文化的齟齬であり、10余年におよぶアフリカ体験は挫折感とともに終えられる。
この体験をもとにコンデは70年代半ばに作家としてスタートするが、同じ時期、学生向けとして『帰郷ノート』概説を書いており、そこにはコンデによる、セゼールと、もうひとりのアンティーユ人思想家フランツ・ファノンとの比較考察、すなわち「人種」と「文化」の対比が見てとれる。コンデ自身の意識としては、アフリカ出発前のセゼールへの共感は、帰国後ファノンへの接近へと変化したようにも見える。
だが、アフリカからアンティーユへ帰還した後のコンデがセゼールに否定的だったかと問えばそうとはいえず、少なくとも他のアンティーユ作家のようにはっきりセゼールを批判し、クレオール語擁護に向かうことはない。80年代以降、コンデが多くの時間を過ごすアメリカ合衆国はアンティーユと奴隷制の歴史を共有しており、この場所を自らのアイデンティティの延長として創作の舞台に選びながら、アメリカ黒人文化にまつわる事象を頻出させるコンデは、こうした知識全体を自ら共有すべきディアスポラ・リテラシーと呼んでいる。だが遡ってみれば、このディアスポラ・リテラシーとは、コンデが否定的に捉えるアフリカ体験の中での文化的交流において培われたものだと考えられるのである。
最後の工藤報告は、エドゥアール・グリッサン(1928‐)の一連のマルティニク小説における「迂回」の諸相を分析した。マルティニックの「風景」「歴史」「ランガージュ」に刷りこまれたさまざまな「迂回」は、黒人たちが生き延びるための方策であった。グリッサンは自らのエクリチュールに、コロニアリズムの視線を逃れ、黒人にとっての土地の意味、島の固有性を探索する戦略としてその「迂回」を織り込む。
島を見つめるグリッサンの視線は、椰子の木の揺れる浜辺やプランテーションのサトウキビ畑といった植民地「風景」の外部へと迂回し、かつての逃亡奴隷の住処であったモルヌ(山間部)や黒人たちにとって意味のある植生に向かう。逃亡奴隷の末裔パパ・ロングエと奴隷の末裔マチューという二人の主要な登場人物は、植民地開拓年譜から迂回し、無名の黒人たちの「歴史」語りを試みる。また、主人の言語であるフランス語の抑圧を迂回するクレオール語のコントに、黒人の主体化を担う「ランガージュ」をみる。ただしそれらの「迂回」は、逃亡奴隷のトポスを通じてアフリカの痕跡をとどめる始原的聖地の開示へは向かわない。山深きレザルド川の源泉には白人入植者の館があり、過去への遡行によって明らかになるのは白人との抜き差しならぬ経緯であり、ランガージュは常にフランス語というラングとの緊張関係のなかでとらえられる。
こうした「迂回」の戦略が辿りつくのは、島の固有性とは外部との「関係」であるという認識である。グリッサンは、島の黒人が被ったさまざまな抑圧を描きつつ、その現実を世界の動きのなかでとらえようとする。その詩学はナシオンの立ち上げではなく、さまざまな場所を等価なものとして連接させる「全‐世界」という想像界を開く方向に向かっていくのである。
(司会からの言葉) 今回のワークショップは、全体的な枠組みの中で各作家の共通項だけでなく相違点までも折り込んだ連関性を十分に引き出すところまでには至らなかった。各発表者の立場を尊重した事情もある。しかし、各人の個別研究を総合的な視点から捉えなおそうとする試みは相互啓発的だった。
司会の立場から再認識したことは、ポストコロニアリズムが、総じてディグロシー二言語使用状況において旧宗主国の言語を選択した活動であり、その異種混淆的性格に共通性を求めることができるにしても、固定的な価値を説く言説に収斂したり、特定の政治・経済思想を優先させたりするものではないことである。むしろ、「ニグロは存在しない」というファノンの吐露に見られるように、自己の立場をも含めてすべてを関係性の坩堝に投げ込むことによって、支配的言説と表象体系の恣意性、自己中心主義を告発し、政治経済機構の根源的暴力性を可視化するものである。ポストコロニアルな作家・思想家は、伝統文化を称揚し、ナシオンの創設を希求することもあるが、彼らの表現言語がトランスナショナルな回路をもっていることからしても、言語的・民族的均質性に収束しえない移動の関係性を抱えている。それは、ナショナルな枠組みを超えた文学研究の地平へとわれわれを導くものでもある。