Le symbolisme et la langue
Le symbolisme et la langue
司会 中地義和(東京大学)
本講演が対象とする「サンボリスム」とは、1880年代-90年代の狭義の象徴主義運動を含みながらそれに限定されず、みずからは象徴派と名乗ることはなかったもののそれぞれに新しい詩を実践したマラルメ、ヴェルレーヌ、ランボー、ラフォルグを柱とする19世紀後半のフランス詩の展開全体を指す。その一般的特質を、詩のフォルムないし言語の刷新への欲求に見るビヴォール氏は、時代の規範的国語と詩言語との乖離のプロセスとして文学史を捉え直す壮大な計画の一端を披露した。
定型詩句の破調を増幅し自由詩を生むに至る韻律・リズムの探求とその理論化、古語・外国語・新造語の積極的使用、文の構造や文体の変形の実験、書き言葉と話し言葉の接近、逆に通常言語と詩言語の峻厳な区別…と、企ての内実は多様であるが、そこには、詩言語を規範的国語から、詩人を文法から遠ざけるという共通性があった。こうした試みが、守旧派作家の罵詈雑言を浴びたのみならず、当時生まれつつあった近代言語学からも一貫して批判を受けたことを、氏は、純正語法主義者ブレアル、象徴詩の言語を最初に論評したF・ブリュノーらの言語学者の評価を引きながら、鮮やかに解説した。
「明晰ならざるものフランス的ならず」という伝統的フランス語観は世紀末にも根強く、これに規定された作家・言語学者は、国語の中に新たなテリトリーが形成されつつあることを理解しなかった。国語そのものへの挑戦というよりも既成の文学や社会への挑戦であったサンボリスムは、社会的聖別を受けることがなく(たとえばアカデミー会員は一人も出していない)、国語を根底から刷新することもなく、二重に孤立した企てに終わった。しかし、固定的コードのなかに新たな自由を創造しようとする詩人たちのモデルニテは、われわれのそれでもあり続けているというのが、野心的かつ明快な本講演の結論であった。
ワークショップに多くの時間を確保するためであろう、特別講演の開始が9時半に早められ、そのせいか聴衆がいつになくまばらであったのが残念である。わざわざ外国から講師を呼ぶからには、聞きやすい時間に設定すべきではないか。今後関係各位に十分な配慮をお願いしたい。