Site Web cahier ── 書評・エッセー・研究レヴュー

年2回発行されるcahier所収の書評とワークショップ報告に加えて、
フランス語・フランス文学に関するエッセーや研究レヴューを随時更新していきます。

cahier

その他の研究レビュー

2015-09-24 [sjllf]
2013-05-04 [sjllf]
2012-05-23 [sjllf]

書評コーナー

過去の書評・エッセー・研究レヴュー

2003年10月1日 00時00分 [WEB担当]

cahier 00, juillet 2007

書評


 サロンの思想史―デカルトから啓蒙思想へ

作者: 赤木昭三,赤木富美子
出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
発売日: 2003/10
メディア: 単行本
購入: 1人 クリック: 26回

赤木昭三×赤木富美子『サロンの思想史-デカルトから啓蒙思想へ』
評者:阿部律子

 「サロンは近代ヨーロッパ、とりわけ近代フランスの社会に独特な現象であって、17・18世紀のフランスで、それが文化面で果たした影響の大きさには計り知れないものがある。この2世紀のフランス文化はサロン抜きでは論じられないといっても過言ではないだろう」と著者が巻頭で主張するように、17・18世紀のフランス文化や思想を理解しようとするとき、サロンは言うまでもなく重要なキーワードであり、それ抜きにしては理解できないであろう。極端な話、サロンがなかったならば、洗練されたフランス語やフランス文学も、啓蒙思想も、そしてフランス革命も存在しなかったのではなかろうか。それほどまでにサロンはフランス文化の発展や社会の変革のために多大な貢献を果たしたのである。サロンの常連たちは「18世紀のもっともすぐれた知識人のすべてを網羅していた」が、彼ら啓蒙思想家たちは「オネットム」であり、「社交(ソシエテ)」を愛しながら、意見を交換し、社会を変革する思想の流れを作っていったのである。

 ところが、「サロンが思想の創出、伝播、普及という面で社会にあたえた影響は従来それほど論じられ、力説されたとは思えない」と著者はこれまでの研究傾向を批判する。というのも、これまで「サロンの影響を割り引いて評価しようとする有力な見解も提示されており」、それにまた、サロンについて著された研究書の大半は、それぞれのサロンの特色やサロンの女主人の果たした役割、あるいはサロンと文学や言語や風俗の洗練について述べてはいるものの、サロンと思想との関係、あるいは思想の伝播や普及におけるサロンの役割にまで言及してはいないからである。そのうえ、学会の分科会の区分にも見られるように、フランス文学・思想研究はたいてい世紀ごとに分けられていて、研究者の方も、自分の研究対象の世紀以外は、もっと極端な場合には、自分の研究対象とする作家以外にはあまり関心を示さないというのが一般的な姿勢なのではなかろうか。そのため18世紀研究の末席を汚す筆者も、恥ずかしながら、17世紀、18世紀の思想の流れ全体を明確な形で把握していなかったことをこの作品を読みながら恥じた次第である。こうした研究者の姿勢や研究傾向から、17世紀・18世紀という連続する2世紀であるにもかかわらず、思想とサロンの関連性を通史的に捉えるという視点に欠けていたこともまた事実である。手元にも何冊かサロンを扱った研究書があるが、いずれも17世紀、あるいは18世紀という具合に世紀を区切っての研究であり、2世紀という時間の流れの中で思想やサロンを扱ってはいない。

 さて、17世紀、18世紀のフランス社会における女性の活躍は疑いのない事実であり、特にフランス社交界において女性はなくてはならない存在であった。そのため、ゴンクール兄弟やポール・アザールなどの歴史家にとって、18世紀の女性たちは興味深い研究の対象となった。「18世紀のフランス社会はある意味女性が主権を握っていた」とまで言われるように、女性の活躍には目を見張るものがあった。もちろん、当時の女性は法的、社会的には未成年者同然、無能力者と見なされ、決して男性と対等には扱われていなかった。しかも、大半の女性は女性であるがゆえにまともに教育を授けられなかったことも事実である。それでも自ら進んで積極的に知識や教養を我が物とし、サロンという限られた空間ではあったにせよ、女性は欠くべからざる存在となったのである。もちろん、このサロンも18世紀初頭はまだ17世紀の伝統を受け継いで、洗練された人たちを集めた文芸サロンの性格が強かったが、しかしそれは次第に哲学的、政治的傾向を強めていき、ついにはフランス革命を準備するまでに至ったのである。いずれにしろ、当時の一流の知識人たちを集めたサロンで上手に采配をふっていたのは、彼らと互角に議論することができるようになった才気煥発な女性たちであった。こうしたサロンという場で、文芸作品や哲学作品に鋭い批評が加えられたり、アカデミーの人選がなされたり、思想の流れが作られて、ついにはフランスの行方までもが決定されたのである。『サロンの思想史』はこうしたサロンの状況を余すところなく見事に描き出している。

 ポール・アザールは『ヨーロッパ精神の危機』の中で、17世紀と18世紀の間には、文学的、思想的分断があると主張したが、17世紀から18世紀への思想面での移行は直線的ではなかったにしろ、思想の流れは、従来考えられていた以上に断絶なしに、18世紀を次第に準備しながら、17世紀から18世紀へと途絶えることなく脈々と流れ続けたのである。端的に言えば、18世紀の啓蒙思想の源流は、デカルトやガッサンディにまで遡ることができるのである。彼らの思想や思考方法は、リベルタンの影響を受けながらも最初のカルテジヤンであると同時に最初の啓蒙思想家ともいうべきフォントネルから18世紀の啓蒙思想家へと引き継がれていったのである。もちろん、こうした思想の流れはサロンにおける社交生活が発展していたからこそ伝播したのである。以上が著者の主張するところであるが、非常に説得力に富んでいる。

 この作品の著者を紹介させていただくと、著者は赤木昭三氏と赤木富美子氏夫妻である。赤木昭三氏は「フランス17・18世紀のさまざまな思想を、文学作品をつうじて研究してきた」方であるのに対して、赤木富美子氏は「同じ時代のフランス文学に見られる女性像の変遷を主として追究してきた」方である。あとがきには、「異質なものが雑然と混在するハイブリッドの怪物にまでなることは免れ、多少の色むらはあり、織糸のもつれものぞく織布の域にとどまれたのではないかと思う」とあるが、さすがに長年研究生活と私生活をともになさったご夫婦であり、お二人の共同研究はそれぞれの研究分野の特色を活かしながら縦糸と横糸が互いにからみあい補強しあって見事な綾織りの作品に仕上がっている。

 この『サロンの思想史』は、17世紀から18世紀への思想の流れを通史的に捉えたいと願う人、あるいはもっとサロンの役割について知識を深めたいと願う人にはお薦めしたい好著である。筆者もこの作品によって多くのことを学ばせていただいた。