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2008年8月31日 13時46分 [WEB担当]

工藤庸子『宗教 VS. 国家 フランス〈政教分離〉と市民の誕生』

書評

 

宗教VS.国家 (講談社現代新書)

作者: 工藤庸子
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 2007/01/19
メディア: 新書
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評者:西川長夫(立命館大学

 本書の著者、工藤庸子さんは、フランス恋愛小説論やとりわけフローベール研究、コレット研究などで知られた、どちらかと言えば典型的なフランス文学者であったから、2003年の大著『ヨーロッパ文明批判序説』の出版は、私たちかつての読者にとっては一大事件であった。今回の『宗教 VS. 国家』は『ヨーロッパ文明批判序説』の続篇とみなすことができるが、新書という小著の形をとっているだけに、著者の「転身」とその意図がより鮮明に読みとれるのではないかと思う。

 工藤さんの「転身」(「変容」と言うべきかもしれない)が、時代の急激な変化に伴う大学における機構や理念の変化を背景にしていることは否定できないだろう。じっさい多くのフランス文学者や外国文学者が、旧来の古典的な文学研究のポストを奪われ、文明論や比較文化論その他の領域への転出を強いられており、そのことで悩んでいる人は多い。工藤さんの「転身」はそうした悩める後輩たちに勇気を与えるものだと思う。だがそれは工藤さんが新しい制度と新しい研究領域にうまく適応したということではなく(もちろん本書を一読してわかるように、新しい領域に踏み入る際の著者の慎重な配慮と超人的な努力―それは同時に新しい世界を知る喜びでもあるだろう―には敬意を表さざるをえない)、かつて文学研究にまっとうに打ちこんだ人の蓄積された知識や能力、方法論や語学力、そして繊細な感受性などが、そこで十分な力を発揮しているということである。

 『宗教 VS. 国家』をひとつの「挑戦」の書物として読むことができると思う。歴史学者や社会学者や政治学者に対する文学研究者の(より正確には「小説読み」の)挑戦である。著者は「はじめに」の最後のページで次のように書いている。「そこで今回は、文芸批評などにはこだわらず、小説を率直に読んでみる。テクストに書かれていることを確認してゆけば、歴史学や社会学の文献には描かれることのない、生きた人間たちの心情や生活が、おのずと見えてくるだろう。」(p.12)歴史学や社会学は、この挑戦をどう受けとめるだろうか。だが小説をこのように読むことは、小説の読み方(したがって文学の概念)を変えることにもつながるだろう。

小説の読者は主として女性であった。したがって「小説読み」の挑戦はまた同時に男性社会に対する女性の側からの挑戦を意味することになる。著者は同じページでさらに続けて次のように言う。「これもまた小説好きの関心といえるかもしれないが、当時、女性はどこにいて、何をしていたか、女性の視点からすると世界はどのように見えていたのかと、折あるごとに問うてみたい。19世紀はヨーロッパ文明の歴史のなかで『性差』の距離が最大限に開いた時代だった。教育の現場や、司祭による『こっかい告解』や、修道会のような空間で、いったいどのようなことが起きていたのだろう。」

 ヴィクトル・ユゴーの生涯と『レ・ミゼラブル』の読解に当てられた第1章では、ユゴー自身と登場人物の生涯を通して、カトリックと共和主義の入り組んだ複雑な関係がたどられ、市民としての「尊厳」と、「人間の生と死は宗教が司るものなのか、それとも国家が管理するものなのか」という、ライシテ(政教分離)の基本問題が提示されている。「制度と信仰」と題された第2章では、コングレガシオン(修道会)やモーパッサンの『女の一生』にも出てくる「告解」のエピソードが興味深い。解放されるべき女性は、聖職者と組んで共和国の保守派を形成し、それが革命の国フランスにおける女性参政権の際立った遅れをもたらした、という解釈である。「ルルドの奇蹟」や「修道院で育った娘たち」のことも、ここでは「小説読み」の視点から見事に描かれている。それは歴史家や社会学者が苦手としてきたテーマである。

 だが本書の中心をなすのは何といってもジュール・フェリーを扱った第3章であろう。もっともこの章は「小説読み」の威力が最も弱まる部分でもある。なぜならこの「〈共和政〉を体現した男」について述べるためには「小説」よりは歴史家や伝記作家の証言に頼らざるをえないから。そしてこの著者には珍しいラジカルで断定的な表現が多くなるのもこの章以降のようである。例えば、「確認しておきたいのは、『共和国万歳!』と叫ぶ一般市民を武力で鎮圧することによって、第三共和政が成立したという事実である」(p.96)、「フランスの第三共和政は、きわめてマッチョ的な植民地帝国でもあった」(p.126)、「コングレガシオンは植民地政策のなかに組みこまれていた。(…)第三共和政のフランスで、「文明化の使命」を掲げて海外進出を説いたのは(…)保守勢力ではなく共和派だった。そして植民地帝国の現場では、政教分離を主張しなければならない理由など存在しなかった」(pp.162-163)。

 その他本書には、スカーフ事件や、アソシアシオンと市民社会の問題など、興味深い指摘が多いが、紙幅が尽きたので断念せざるをえない。近代フランスに対する私たちのさまざまな偏見や盲点のありかを教えてくれる、刺激的な好著だと思う。