ワークショップレジュメ
ワークショップ
パネリスト : 高木裕(新潟大学、コーディネーター)・松澤和宏(名古屋大学)・赤羽研三(上智大学)・原田邦夫(愛知県立大学)
脱テクスト論を謳う、加藤典洋の著書『テクストから遠く離れて』が近年出版され、話題になっている。果たして「テクスト論」のその後はどうなっているのか。研究は今どこにあるのか?このような声も聞こえてきそうである。このワークショップでは、テクスト論の展開に関心をよせて仕事をしてきた4人が、それぞれの立場からテクスト論とかかわる「現在」について報告し、フロアの皆さんとともに、テクスト論の「行方」を語り合いたいと考える。赤羽は、発話行為と、今日のディスクール分析の観点を手がかりに、バルトらのテクスト理論の行方と可能性を考察する。原田は注釈なしに用いられることの多い、ジュリア・クリステヴァの造語「間テクスト性」がテクスト理論の形成と進展にどのような効果をもたらしたかを再考する。高木は、<声>を手がかりにしたテクスト論の可能性について報告する。松澤は後期ロラン・バルトのテクスト論の審美的個人主義の傾向を問題視し、言葉が公共財でもあるという視点からテクスト論を問い直す。
■「ジョルジュ・サンドを21世紀に研究することの意味はなにか?」 B251教室
パネリスト : 坂本千代(神戸大学、コーディネーター)・西尾治子(慶應義塾大学)・高岡尚子(奈良女子大学)・渡辺響子(明治大学)
ジョルジュ・サンド生誕200周年の昨年は日本を含む世界各地でシンポジウムやさまざまな記念行事が行われた。200周年を機に日本では新しい著作集の刊行が始まるなど、サンド文学を巡る状況は新たな展開をみせている。本ワークショップでは「サンドの創作論」、「サンド作品における芸術」、「ジェンダー的視点から見たサンド文学」という側面からサンド研究の現在と未来について考えたい。予定としては、「サンド文学における知識・実践・フィクションのバランス」、「芸術のジャンル・ヒエラルキー・分類」、「第三の性、横断と変容、流動と継承」に関するパネリストの発言のあと、フロアからの積極的な参加を前提にして討論を進めていくつもりである。
■「フランス語教育の危機的状況を考える」(語学教育委員会企画) B355教室
パネリスト : 太原孝英(目白大学、コーディネーター)・水林章(東京外国語大学)・岡山茂(早稲田大学)・明石伸子(早稲田大学非常勤)
現在の日本の高等教育、あるいは中等教育におけるフランス語のあり様はどうかと言えば、様々な点で明らかに良くなく、ある意味危機的な状況であり、フランス語を教える者一人一人が、どう教育に取り組んで行くか、日々試されている事態になっていると言える。大学設置基準大綱化および国立大学の法人化など制度的な改変や、入学してくる学生の質的な変化、何より教育機関を取り巻く社会の変化などによって、教員は教室の内外でさまざまな苦労を強いられている。端的に言えば、フランス語を含む未修外国語の時間数の減少傾向、フランス語学習者の減少、フランス語を入試科目として選択できる大学の減少、あるいは学生の学習意欲の低下、さらには教員、特に非常勤講師の身分保障に関することなどが相互に絡み合って問題化している。そうした中、教育機関にはそれぞれの事情があるのは承知の上で、本会も学会として何らかの対応を迫られていると考えている。今回のワークショップでは、コーディネーターおよびパネリストが問題を明確化した上でいくつかの提言をし、フロアの皆さんと共に、本会が語学教育の問題についてどうあるべきかを考え、少なくとも問題解決に向かって踏み出す一歩にしたいと考えている。
■「サドにおける読者」(18世紀フランス研究会特別企画) B353教室
パネリスト : 宮本陽子(広島女学院大学、コーディネーター)・関谷一彦(関西学院大学)・真部清孝(慶應義塾大学非常勤)
「市民的公共圏」、「公衆」をめぐる研究書が、ここ数年、相次いで発表されているが、それでは、「啓蒙された公衆=読者」をサドはどのように考えていたのだろうか。「公衆」を鋭く意識し最終的にはこれを忌避したルソーに触発され、ルソーを筆頭に啓蒙の哲学者たちの言葉を他者の言葉として横領し、逸脱させることでみずからの言葉を紡ぎだしたサド、絶対的他者否定=自己肯定の言説を繰り返したサドにとって、もうひとつの他者である読者はどのように意識されていたのか。サドは自身の作品をふたつの系列に分類し、一方を名前入りで、もう一方を匿名で発表したが、しかし、彼が最後まで書き直しを止めなかったのは後者の系列の『新ジュスチ―ヌ』であった。この奇妙な作家サドにおける読者について考察するために、名前入り作品『アリーヌとヴァルクール』を真部が、匿名作品『閨房哲学』を関谷が、また『ジュスチーヌ』を宮本が紹介し、討論の糸口を提供したい。