文化装置としての書物:文学研究の内と外
文化装置としての書物:文学研究の内と外
司会 パネリスト | 月村辰雄(東京大学) 鷲見洋一(慶應義塾大学) 長谷川輝夫(上智大学) 宮下志朗(東京大学) |
文学研究は現在、もっぱらテクスト分析を通して遂行されているが、そのテクストを載せる書物それ自体を手がかりとして文学研究は可能であるか、また可能であるならそれはどのような形をとり、どのような成果をもたらすかをテーマとして、長谷川輝夫(上智大学・フランス史)、鷲見洋一(慶応義塾大学・18世紀文学)、宮下志朗(東京大学・16世紀文学)、月村辰雄(司会・東京大学・中世文学)の4名が意見を展開した。
まず、このシンポジウムの発想の源となったアナ―ル派の歴史学による「書物の社会史」の、ある時代の書物の生産(つまり出版)・流通・消費(つまり読書)の総体を、各種の統計資料を駆使しながら明らかにするという目的と方法が概観された。その際、統計的数値の取り扱いをめぐっては、19世紀のキャビネ・ド・レクチュールの目録や19世紀小説の話体の研究を例として、文学研究の観点からの疑義が提示された。つまり、それぞれの書物を一個の数値に還元してしまうと、個人レベルの読書の内実を探ったり、影響力の大きい傑作と大多数の駄作とを識別したりという、作品の質の問題を取りこぼしてしまうことになる。しかし「書物の社会史」は大づかみな集団の歴史を捉える点では有効であって、個人の才能よりは集団的感性が問題となる革命以前の文学と書物を研究する際には、とりわけ効力を発揮する。
ここから議論の焦点は革命以前の文学を研究する上での書物史研究の重要性へと移ることになるが、たとえば19世紀において、作品は前代までのテクストをそのまま繰り返して継承する集団的な記憶装置としての側面が強く、とりわけ百科全書などは、そこに挿入された挿絵などを含めて、文化の総体を盛り込んで継承する装置であった。個々のテクストだけ取り出して検討しても意味がなく、一冊の書物の全体性が問題となる。同じように中世の図書館やルネサンス期の出版業も、個々の作品を取り出して検討してもさしたる研究成果には結びつかず、そこに集められ、そこで刊行された書物の多数性そのものの検討を通して、はじめてその時代の集団的な読書文化が把握される。テクスト分析による文学研究が才能と傑作を対象とする様式史に向かうのに対して、こうした「書物の社会史」的研究は文学の集団的受容史に向かうといえるであろう。(月村)