2001年度春季大会報告
ニュース109号(2001.7.10)より
総務 中地義和
2001年度春季大会は、上智大学において、6月2日(土)、3日(日)の2日間にわたって開催され、841名の会員が参加した。
大会に先立ち、1日(金)午後、日仏会館会議室において各種委員会が開かれ(語学教育委員会は上智大学にて)、引き続き16時より18時まで、上智大学図書館L‐921において、日本フランス語フランス文学会と日本フランス語教育学会との共催シンポジウム「フランス語教育の振興」が開催された。18時30分よりフランス大使館大使公邸において、恒例のレセプションがあった。
2日(土)9時45分より、図書館L‐911において合同役員会が開かれた。冒頭、上智大学の高井道夫氏より歓迎の挨拶があり、阿部会長が感謝を述べた。
大会初日は、13時から10号館講堂において、上智大学永井敦子氏の司会による開会式をもって始まった。泉邦寿文学部長、ウイリアム・カリー学長の歓迎挨拶をいただいたあと、かつて上智大学で教鞭を取られた阿部会長が開会挨拶を行った。
13時40分から約1時間、同講堂において、上智大学小田桐光隆氏の司会によるパリ第4大学ピエール・ブリュネル教授の特別講演 ≪ Ou va la litterature francaise aujourd’hui ? ≫が催された。ベケット、クロソフスキー、バタイユ、ロブ=グリエ、デュラスらの才能を発掘したミニュイ社創立者ジェローム・ランドン(本年4月に死去)の功績から話題を起こし、現代文学の根源的な問題を沈黙と言葉との相克に見ながら、文字、語、テクストの三つのレヴェルで、破断 (fracture)の様態と蘇生の可能性を考察した。講演者の貪欲な読者ぶりと、該博な知識、明確な展望を遺憾なく示す、刺激的、啓発的な講演であった。
同じ会場で、15時より2時間半にわたって、早稲田大学千葉文夫氏を司会者とし、工藤庸子(東京大学)、ティエリー・マレ(学習院大学)、堀江敏幸(明治大学)の三氏をパネリストとするシンポジウム「1980年以降のフランス文学――ボーダーを越えて」が行われた。なぜ1980年なのか、「ボーダー」で何を了解すべきなのか、をあえて詰めることはせず、主として、現代フランス文学の動向、その日本語への翻訳、文学研究のあり方の3点をめぐって、自由な見解表明と意見交換が試みられた。この種の企画に議論の収斂を望むのはむずかしいが、パネリストおよび司会者の発言はそれぞれ示唆に富み、充実したシンポジウムであった。
大会2日目は、午前と午後にわたり、8号館・9号館の教室で、15の分科会に分かれて39の研究発表が行われた。分科会終了後、14時45分から約1時間、10号館講堂において、上智大学澤田肇氏の司会で、パリ第3大学ミシェル・ベルナール氏の講演 ≪ Lecture par menu : une application a la Recherche du temps perdu ≫ が催された。プルーストに関してコンピュータを応用した文学研究の具体例が披露され、会場から高い関心が寄せられた。
同じ会場で、上智大学小倉博孝氏の司会により、昨年度のフランス・スタージュ団長を務められた塩谷敬氏から、具体的でユーモア溢れる報告があった。
16時より総会が開かれ、桐朋学園大学平野和彦氏による的確な司会のもと、会長・副会長選挙と並行して議事が予定どおり進行し、最後にフランソワ・ド・フロモン氏が閉会の辞を述べられた。
その後9号館地下カフェテリアでの懇親会に移り、ガブリエル・メランベルジェ氏の司会で、菅野新会長が挨拶。大使館のアンドレ・シガノス文化参事官のスピーチ、ブリュネル、ベルナール両氏のスピーチと続き、柏木新副会長の音頭で乾杯となった。184名が参加し、最後まで歓談の尽きない盛会となった。
綿密な準備をされ、大会を成功に導かれた上智大学のスタッフの皆さんに、心より感謝したい。本大会をバックアップしてくださった上智大学にも厚くお礼申し上げる、また、受付その他の面でご協力願った学生の皆さんにも謝辞をおくりたい。大会に向け、事務局側の準備に尽力された2人の書記、丸山理絵さん、漆原みゆきさんにお礼申し上げる。
なお、葉書による参加申し込みをしていながら事前連絡なしに参加をとりやめた会員が129名、懇親会参加を予約しながら連絡なしに参加を取りやめた会員が35名いた。開催校の献身的努力に水を差すような無責任な振る舞いは、絶対に慎んでいただきたい。