お知らせ

2016年度春季大会のワークショップ音声をアップしました。
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2016年度春季大会

ワークショップ1

20世紀フランス文学をめぐるアヴァンギャルド的思考

2016529日・学習院大学)

 

塚原史(コーディネーター、早稲田大学)

熊木淳(パネリスト、早稲田大学)

進藤久乃(パネリスト、松山大学)

前山悠(パネリスト、学習院大学)

門間広明(パネリスト、早稲田大学)

 

 チューリッヒ・ダダ100周年・ブルトン没後50年の節目にあたる本年、本ワークショップは、これまであまり論じられてこなかった第二次世界大戦後フランスの前衛(=アヴァンギャルド)に光を当て、前衛の定義を問い直すことを目的とする。

 20世紀初頭、未来派からダダを経てシュルレアリスムに至る前衛の系譜については多くの研究があり、アントワーヌ・コンパニョンを始め多くの研究者がその定義を試みている。しかし、第二次大戦後の前衛はこれまであまり注目されてこなかった。イザベル・クルジウコウスキーの前衛論に見られるように、第二次大戦後フランスの前衛は、直近のシュルレアリスムよりもそれに先立つ前衛の問題意識を継承しているとみなされている。しかしよく見ると、シュルレアリスムもまた第二次大戦後に前衛が再編成されていく流れに深く関わっているのではないだろうか。また、第二次大戦後の前衛たちをより詳しく検証することで、戦前とは異なる前衛のあり方が浮き彫りになるのではないだろうか。

 本ワークショップでは、コーディネーターが20世紀前半フランス文学のアヴァンギャルドの展開をダダ・シュルレアリスムを中心にプレイバックした上で、各パネリストが、第二次大戦後のフランスにおいて前衛と対峙したいくつかの運動体や詩人を取り上げる予定である。具体的には、進藤が第二次大戦後前衛とシュルレアリスムとの関係、前山がコレージュ・ド・パタフィジックとウリポの「反前衛的」性格、門間がシチュアシオニストたちの運動と先行する前衛運動の関係、熊木がレトリスム以降の前衛詩における新たな前衛の概念について論じ、互いに共通する論点をめぐり議論を行う。以上のように、前衛の定義に再検討を促すケースを提示しながら、それが前提としているもの、すなわち20世紀フランスのアヴァンギャルド的思考の要点を明らかにしたい。

 

 

2016年度春季大会

ワークショップ2

大衆小説研究の現在

2016529日・学習院大学)

 

宮川朗子(コーディネーター・パネリスト、広島大学)

安川孝(パネリスト、明治学院大学)

市川裕史(パネリスト、津田塾大学)

 

 マルク・アンジュノは、Les Dehors de la littérature. Du romanpopulaire à la science-fiction (2013) において、「文学研究は、その《自明な》対象と考えられうるものの90%以上を遠ざけること  ――この先決的な別扱いについて何の弁明もせず、問いただすこともしないで―― から始める唯一の学術的領域、《人文学》と呼ばれるもののなかで唯一の領域である。」と文学研究における、いわゆる「純文学」偏重の傾向を指摘している

 とはいえ近年、大衆小説は、徐々に博士論文や研究論文の対象となり始めている。そして大衆小説全般を対象とする文学研究誌の発行、研究サイトや大衆小説関連事項の検索サイトの設置など、大衆小説研究も、活況の兆しをみせている。

 そこで本ワークショップでは、まず安川が、大衆小説再評価の動向が活発になる1990年代以降の研究の潮流を紹介した後、それぞれの発表者が、関心を寄せる小説、小説家を取り上げて論じる。

安川は、テクスト解釈における読者の主体的な参加の可能性を探り、大衆小説は一元的で受動的な読みを想定しているという支配的な評価に再考を迫る。

続いて宮川が、ゾラの『マルセイユの秘密』とこの小説を連載した『プロヴァンス通信』との関係、連載版と書籍版との間に見られる違い、さまざまな書籍版の出版をめぐる問題を提起しながら、この作家が時折大衆的と目される原因を探る。

最後に市川が、ヴィルジニー・デパントとパトリック・ウドリーヌを例にして小説と大衆文化(とりわけパンクロック・カルチャー)との関係を考察する。

 三者三様の発表ではあるが、それはとりもなおさず「大衆」という言葉がもつ問題性ゆえんである。会場との意見交換を通し、「大衆性」をめぐる問題や大衆文学の可能性について議論を深めることができたら幸いである。


 

 

2016年度春季大会

ワークショップ3

Théâtre Langue Étrangère

2016529日・学習院大学)

 

ティエリ・マレ(コーディネーター、学習院大学)

フランソワ・ビゼ(パネリスト、東京大学)

井上由里子(パネリスト、立命館大学)

宮脇永吏(パネリスト、学習院大学)

 

Si le théâtre consiste en parolesproférées sur la scène, il ne s’ensuit pas nécessairement qu’on y parle notrelangue. Dès l’origine en Grèce, les barbarismes, voix des Barbares et motsbarbares, ont résonné dans l’espace dramatique, chez les Perses d’Eschyle oules Triballes d’Aristophane. On sait qu’une étymologie possible du mot « farce» se rapporte au mélange des langues, ressurgissant au finale des comédies-balletsde Molière aussi bien que dans les pratiques les plus récentes du théâtrecontemporain.

 C’est cette étrangeté des idiomes de théâtreque cet atelier se propose d’aborder : glossolalies, accents, mots inventés,propos inintelligibles, expressions décalées, à travers quelques œuvres ouquelques figures. Claudel ou Guyotat, Koltès, Beckett, Novarina, Mnouchkine ouPeter Brook, Artaud peut-être…


 

 

2016年度春季大会

ワークショップ4

恐怖・嫌悪・欲望とジェンダー

2016529日・学習院大学)

 

高岡尚子(コーディネーター、奈良女子大学)

玉田敦子(パネリスト、中部大学)

中川千帆(パネリスト、奈良女子大学)

倉田容子(パネリスト、駒澤大学)

 

ひとはなぜお互いを怖れ、嫌悪あるいは憎悪し、ときにはそれを理由に争い、傷つけ合うことになるのか。世界が狭くなり複雑になった今日、この問いは、私たちの日常の其処此処にあって、のど元を締め付けるような息苦しさを持って迫ってくる。本ワークショップでは、この問いに、社会の近代化とジェンダーの観点から取り組んでみたい。

そもそも、近代における国民国家は、ひとと社会のジェンダー化を基礎として成り立っており、その結果、私たちの生きる世界も隅々に至るまでその影響を被っていることを、これまでの研究が明らかにしている。また、ジェンダーの視点を用い「恐怖・嫌悪・欲望」について考えるということは、単に、性別による役割の規範やその成り立ちを明らかにするだけでなく、こうした「心の動き」とみなされるものが、実は、個人的なものではなく社会的なものであり、イデオロギーとして、さらには文化的コードとして「構造化」されているのだという視座を提供してくれるだろう。

本ワークショップの特徴は、こうした目論見を共有しながら、コーディネーターとパネリストが、それぞれ異なった専門分野で得た知見を報告する点にある。まず、コーディネーターの高岡が、近代社会(主にフランスと日本)におけるジェンダー化の道筋を示す。続いて、3名のパネリストがそれぞれ「モンテスキュー・女性・国家フランス啓蒙とミソジニー」(玉田/フランス文学)、「フランスから来た美魔女ポーの「眼鏡」と帝国」(中川/アメリカ文学)、「〈例外状態〉における女の身体三枝和子の諸テクストにおける生殖と性暴力」(倉田/日本文学)というタイトルのもとに、性をめぐる「恐怖・嫌悪・欲望」の原動力と破壊力、さらには破壊の影響を提示する。

 

 

2016年度春季大会

ワークショップ5

マルグリット・デュラス没後20周年

―21世紀におけるデュラス

2016529日・学習院大学)

 

関未玲(コーディネーター、愛知大学)

小川美登里(パネリスト、筑波大学)

桑田光平(パネリスト、東京大学)

澤田直(パネリスト、立教大学)

 

2016年はマルグリット・デュラス没後20周年を迎える節目の年であり、ヌーヴォー・ロマンの一騎手として、あるいは戦争文学、ポストコロニアリスム文学批評、ジェンダー文学研究などの論点から分析される作品として、つねに「現代文学」を牽引してきたデュラスを、包括的な視点から読み直す作業が求められている。プレイヤード全集の刊行により文学、映画脚本、演劇作品を網羅的に捉えることが容易となった21世紀において、文学の伝統という系譜のなかでデュラス作品をどのように位置づけるのか、再定義することが可能ではないか。

パネリストの小川美登里は、ヌーヴォー・ロマン以前の文学史とデュラス作品を接続すべく、まずは、デュラスの作品創造に深い影響を与えたと考えられるマルセル・プルーストとヘンリー・ジェイムズに触れる。さらに、海を背景とする物語を流動的で反復的な海のごときエクリチュールで覆い尽くすデュラス独自のスタイルが、海や植民地、琉璃や漂流をテーマとする(海洋)文学の系譜に結びつけることが可能であるかどうかについて検討する。

桑田光平は、バルトに対して終始距離を保ち続け、「退屈である」とまで公言していたデュラスのバルト評価を検討し、デュラスとともにバルトを読むこと、そして、バルトとともにデュラスを読むことを通して、「書くこと」と「生きること」の関係について考察を試みる。

澤田直は、デュラスのテクストおよび映像作品に見られるカタストロフ、廃墟、破壊といったモチーフに着目し、それらのテーマを他の作家、思想家、芸術家との関わりのなかで読み解くことを試みる。

本ワークショップは、これまでいち早くデュラス作品の翻訳を手掛けてきた日本のフランス文学研究から新たな読解を発信し、デュラス文学の今日的意義を改めて議論する場となるべく、文学史全体のなかでデュラス文学の広義の理解を目指すものである。