たとえばアレゴリー(allégorie)は、all(o)-(他の、異質の)、つまりhétéro-とagoreuein(話す)からなる語であるが、これに対して、tauto-(同じ、等しい)、つまりhomo-という接頭辞を付したtautégorie という造語を提唱したのがシェリングである。ゲーテ以来、「個別から普遍へ」と向かう象徴との対比において、アレゴリーは「普遍から個別へ」と一般に理解されているが、「タウテゴリー」という考え方からすれば、アレゴリー(寓意)は、個別による普遍への接近を目指す。イソップの寓話において、「働き者のアリ」は、「勤勉さ」という抽象概念を理解させようとする。これに対して、タウテゴリー(自意)は、すでに普遍を内包した個別である。ギリシア神話において、「知の女神アテナ」は、単に知という抽象概念へ接近させるのみならず、それ自体が神性という普遍の厚みを持って自存しているものである。このようなアレゴリーとタウテゴリーの区別は、comme si などと同様、真実と虚構のあいだの複雑な関係を照らし出してくれる。比喩形象・文彩(figure)と思考・言語はいかなる関係を結んでいるのか。