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2019年7月11日 00時25分 [広報委員会]

講演会「教養」としての『百科全書』(慶應義塾大学)

イベント


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慶應義塾大学 教養研究センター基盤研究 講演会no.4
「教養」としての『百科全書』―共時性の中の文化と知識

鷲見 洋一(慶應義塾大学名誉教授)
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日時:2019年7月25(木)16:30~18:30

会場:慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎1階シンポジウムスペース
無料・申込不要

講演者:
鷲見 洋一(慶應義塾大学名誉教授)
1941年(昭和16年)東京生まれ
専門領域 18世紀ヨーロッパ文学・思想・歴史

主催:慶應義塾大学教養研究センター

詳細: http://lib-arts.hc.keio.ac.jp/event/743

 私がこのたびの講演でご紹介したいのは、きわめて逆説的な研究課題です。
 ディドロ=ダランベール編集になる『百科全書』は、本文だけでもタテ40センチ、ヨコ25センチのフォリオ版17000頁に及び、普通の書物の100冊分にはなるでしょう。それも同じ人間が書いているのであればまだしも、諸学万般について200人もの協力者がばらばらに項目を執筆しています。項目は多くの場合、他の辞書や参考書のコピ・ペであり、オリジナルと呼べるものは意外と少ないのです。そんな波乱含みの17000頁を全部読んだなどという研究者はどこにもいません。ジャムの作り方を説いている項目に続いて、啓示とは何かを論じる宗教記事がくる。そんな本を誰が「全部」読むでしょうか。すると、『百科全書』を研究するという
のは、全部読んでいない書物についてあれこれ調べたり、
論じたりすることになるのです。そんな研究を研究と呼べるのでしょうか。
 私の狙いは、「巨大量」を前にした人間がいかに振る舞い、どう対処するかという問題への取り組みに尽きるでしょう。
 お楽しみに。

添付ファイル(PDF):鷲見洋一講演会20190725.pdf